訃報を楽屋で知る。福岡の地震といい、なぜか大ニュースの発生と前後するようだ>サンデージャポン。

私も時折「カリスマプログマー」などと呼ばれることがあるようだが、本物のCharismaの前では恥ずかしくて返事もできない。「超」や「激」と同じく、「カリスマ」もう少し惜しんで使ってほしい言葉の一つではある。

私は神を信じてはいない( Atheisticというより Agnostic )。しかし、彼ほど赦しを乞い、また赦して来た人が赦されぬ道理はなく、そして「赦し」を受動態ではなく能動態にする時、適切な主語が欲しいと思うときは時々ある。

「亡くなった」というよりは、「この世から暇を貰う事を赦された」という逝き方かたであった。

「冥福を祈る」資格は私にはない。その資格のある十億人には私は入っていないから。それでも、歴代のどの Pontifix Maximus (直訳すると「橋大工の棟梁」)より多くの橋を渡して来た男に、弔意よりも敬意を伝えずにはいられない。

Requiescat in Pace, Papa.

Dan the Unforgiving and Unforgiven