もし私が辞書を書くとしたら、「人間」の定義には

笑う動物 - An animal that laughs

と書くと思います。

そして、辞書でなく百科事典だとしたら、それがどれほど艱難辛苦に満ちたものかも実例付きで。

とりあえず、実例の一つをここに示した上で,正三郎さんへの返事。

弾さんへのコメント: ホットコーナーの舞台裏
本文の行数が多すぎるといって、書けないので。

いやあ、正三郎さんのような「豪速球投手」こそ、commentでなくてTBですよ。というわけで、早くTBとばせるようにして下さい>草野さん@朝風呂

というわけで本題は「続きを読む」にて。

彼(デーブ・スペクター)は、日本人にいくらウケなくても、日本人がわからない笑いを言い続けて、日本の笑いの幅を押し広げることによってのみ、存在価値があるだろうと思っ てるのね。

私も実はそれに禿同するも、massmediaというのが供給側の論理で動くことも肌で知ってしまったので、なぜデーブさんが「未だに」日本のマスメディアで「生き残っている」かもわかるようになってきました。そして、それは「笑い」を読み解くヒントにもなります。

爆笑問題については、弾さん、何もわかってないね。

こういう「直球」をちゃんと投げてくれるのが嬉しいです。日本だと人を傷つけることを恐れるあまり、「試合」まで「キャッチボール」になっちゃうんですよね。

偉そうにいわせてもらえれば、日本原論レベルは、電脳騒乱節なり、おれでも暇なときに書いてきたようなレベルなんですよ。それで笑いのプロなのかってこと。爆笑問題が何か笑いを革新しましたか。独自の世界を打ち立てましたか。

やっと本題にたどり着きました。

逆説的になりますが、こと「笑い」で「食って行こう」とすると、特に末永く食って行こうとすると、触るとやけどしそうな高レベル放射ギャグは滅多に使えず、小出しにしていくしかないのではないのか、と思うのですよ[プロ]。

あるいは、「笑い」以外の「食い扶持」を持つか[天職]。

正三郎さんや私は後者のクチですね(苦笑)。

いまの爆笑問題レベルじゃ、名を残せないよってこと。
 別に名を残す必要もないといえばないんだけど、期待してないなら、こんな こともいわないし、太田が談志の名前を出さないならこんなこともいわないだ ろうしね。

名前を残さざるのも「プロ」の仕事の一つかも。名前を残すのは、professionではなくもはやcallingというべきで、うーん、これって適切な訳がないなあ。「天職」かな、やっぱ。「プロ」はそれより一段「下がり」ます。

で、書いた作品としてみたら、売れたにせよ、笑いのレベルとしては、爆笑 問題の作品は大したレベルじゃないんです。偉そうにいえば、おれの電脳騒乱 節や電脳曼荼羅レベル。やってることは手に取るようにわかるから、なんでそ んなレベルにいるの、爆笑問題と思うんだよね。

私もふつつかながら、Nifty時代に「パソコン千夜一夜」というところの福夜長(副議長)をやっていたのでこれはよくわかります。

笑いの文学作品って、すごくむずかしいんです。特に日本だと、小説なら筒 井康隆さんという巨人もいるし、かんべむさしさんもいるし、清水義範さんも いるし、手練れはいろいろいますよね。

うち、「長寿命」なのは 筒井清水の両名だと思います(かんべさんも大好きなんだけどたとえばうちの奥さんとか知らんもんなあ)。「俗物図鑑」も「家族八景」も「虚構船団」もモノにした筒井さんは明らかに笑いは「天職」、清水さんは一見「プロ」ですが卓越したエッセイストでもあるのでやはり「天職」でしょうか。

漫画に目を転ずると、長寿組はほとんど「プロ」ですね。秋月りす吉田戦車は明らかに「プロ」。「天職」組の寿命はもう悲しく切ないほどに短いのは以前のEntry,New Elements That Shake the Worldで書いているとおりでもあります。

ただ、最近は「天職」から「転職」した組も多いですね。よしりんなんかまさにその典型です。

それから、文芸の世界で、時事ネタで笑いを作るという面では、日本にはす ごい強敵がいるんです。何かといえば、川柳なんです。これは俳句と同じく、 フォーマットの強さがすごいんです。だから笑いの瞬発力、鮮やかさ、爆発力 がすごいんです。伝統の力って、大したもんなんですよ。

川柳って、最高に「貴族的」な笑いですよね。なにせ基本的に落首。「おひねり」をはじめから否定しているのですから、豊かな生活を送ってないとムリ。明らかに「食い扶持」を得ているもの「余裕」が生み出した文化です。日本どころか、「俳句」ないし「短歌」に拡張すれば、いまや世界的文学です。

あと、フォーマットの力というのは、笑いに関してもすごいというのは同感。「コマネチ」から「ギター侍」まで、「まねしやすい」というのも「長生き」の秘訣ですね。「間違いない」。

水道橋博士は、根は真面目だなと思うんです。心境がよくわかるの。なぜな ら、おれも真面目だから。\(^O^)/

水道橋博士といえば、堀江さんとの対談で、まじめに「ズボンのチャックを下ろしながら『ライブドア』」といいうネタを披露してくれてます。見てみたいなあ。

でも、読解力のある読者、読むという訓練をしてきた読者には、臭い芸、く どい芸になっちゃうんですよね。といって、読者をどんどん置いてけぼりにす ると、非常に先鋭的な笑いにはなっても、わかる奴が世界に12人という、ア イシュタインの相対性理論みたいな世界になっちゃうよね。重力方程式や複素 ヒルベルト空間がわかってないと笑えない笑いとかね。\(^O^)/

シュレーディンガー音頭とか。ああ、LL侍を忘れちゃあかん。ただ、こういう「玄笑」って、実は「わかったつもり」ぐらいでももらい笑いできちゃうんですよ。別に中国語やイタリア語がわからなくても4カ国語麻雀は面白いですし。

だから、ネタを出すところを状況によって使い分けているのはさすがプロと いう弾さんの評価は、おれがいったことに対しては全く的外れ。爆笑問題が能 力全開にしても日本原論レベルなら、そして笑いで名を残したいなら、司会な んかやってる暇なんかないよ、もっと修行しないとだめだよってことですよ。

そういう意味では爆笑問題は未だ「微笑問題」だというのは同感。でも前述の通り、毎日スーパーサイヤ人にでもなれないと、「天職級」ギャグの連発って無理ですよね。悟空でも無理。

ただ、いくら「プロ」といっても、薄く引き延ばしすぎるともう退屈以外のなにものでもなく、私ですら「逝ってよし」といいたくなります。誰とはいいませんがね。さざえさんとか....いってんじゃねーか。

最後に、「笑い」に関する考察で私が一番感銘を受けた一節を紹介します。英語で申し訳ない。和訳は読んでないので。

I've found out why people laugh. They laugh because it hurts--because it's the only thing that'll make it stop hurting.
[snip]
I had thought -- I had been told -- that a 'funny' thing is a thing of goodness. It isn't. Not ever is it funny to the person it happens to. [snip] The goodness is in the laughing. I grok it is a bravery ... and a sharing ... against pain and sorrow and defeat.
-- Valentine Michael Smith

Thou art god for you laugh.

Dan the Fool of Yours