これに遅れること一月弱。先日やっと手に入れた。
草野さんの日誌一気に読み、笑い、そして感動した。
リアル本屋は全滅でAmazon経由。しかも私が買った時には「通常1週間〜2週間」待ち状態。さっき見てみると「通常24時間以内に発送」になっていたので、どうやらきちんと売れているようだ。
「一気に読み,笑い、そして感動した」ところまでは同じだが、そこで止まらない何かがこの本にはある。それをこれから書いて行こう。
電波男 vs. サスペンダーデブ
まず、本田氏と私の類似性に驚かされる。どちらも同じく1969年生まれ。大検で高校をトバしているところも同じ。彼は阪神大震災で家を失い、私はその3年少し前に火災で家を失っている。どちらも長男で(実の)妹が一人おり、「キモメン」ぶりに至っては、本田氏はとにかく(個人的には悪くないと思う。この顔に萌える「腐ってない」女子をいくらでも知っている)、こちとら登場6週目にしてサンジャポの「抱かれたくない男」2位という快挙ぶりだ(大笑)。
しかし、類似性はこれくらいだ。氏が童貞かどうかは大きなお世話もいいところだが、私は12才の頃にはもう「男」だった。氏が月8万円で「日刊アスカ」をInternetで編纂していた頃、私は半日でその額をInternetで稼いでいた。氏がホリエモンに毒薬仁を見いだした時、私は彼から卒業していた(彼の名誉のために言っておくと、彼もまた私を卒業している)。そして今、氏は中野ブロードウェイに独り。私は都心のペントハウスに妻と娘二人。彼が「おたく」で私が「DQN」というのは簡単だが、そこで思考停止しないで頂きたい。
氏は家族を己の脳内に築き、私は3次元に築いた--いや、今もなお築こうとしている真っ最中である。しかも脳内家族との重婚状態を保ったまま。
何が二人を分けたのだろうか?
ハハの壁
母、だ。
彼は男として女から拒絶される前に、息子として母から拒絶されていたのだ。
母がこれほど「畏大」であることを今更ながら再確認させられて愕然とする。
むしろ父の方は、氏との数多い類似点のうちの一つに過ぎない。「夜な夜な母を殴り、息子を虐め」ていた点はまるで同じ。氏の方は早期に家を出て、私の方は実家に健在だが、大した違いじゃない。
母>>>>越えられない壁>>>>父
である。これは、生物学的な壁だ。
塩野七生のエッセイに、ずばり「マザコン礼参」というのがある。
収録されているのは「男たちへ」であるが、この章に限って言えば「母たちへ」である。塩野氏の歴史家、そして一人の息子の母としての。
ただし、私の礼参するマザコンは、ママがいないと横のものを縦にもできない、というたぐいのものとはちがう。当たり前ではないか。もしかしたらわが息子に、ほんとうのパパは、日曜日ともなればテレビの前でゴロゴロしているあのパパとはちがうのよ、と言うことになるかもしれないのだから。
私も今では父親だが、それだけにこの壁の高さはよくわかる。なにせ「母親」ときたら、「ギシギシアンアンブキィーッ」の最中でも娘達の話をしてはばからないのだから。ましてやそれが「息子」ともなれば何をいわんや。
この「ハハの壁」仮説は、竹熊健太郎のblogに「追試」を見ることができる。
たけくまメモ: 本田透君が心配だ(1)この理論は、同じくモテないオタクの先達として、大いに首肯しうるものである。俺自身もその青春を振り返ってみれば、本田君と似たような軌跡をたどっている。家族の問題にしても、本田君ほどトラウマ度は高くはないが、やはり少年期から母親との確執があり、このまま行くと金属バットで母親を殴り殺すことが確実な気分になってきたので、いわば緊急避難的に、俺は家出を敢行したのだった。
私も中坊時分、よく家出をしたが、これは「父」と「田舎」から緊急避難していたに過ぎない。「緊急避難生活」そのものは吾妻ひでお氏の家出に勝るとも劣らず、林立する段ボールハウスを横目で見て「おれの頃はまだ新聞紙だったもんなあ」というヘンテコな感慨にふけることもあるが、それはさておき逃避の対象は決定的に違う。
「畏敬」という言葉がある。「おそれて」「うやまう」ことであるが、「息子」にとって「母」というのはまさにこの畏敬の対象であり、長ずれば「男」にとって「女」がその対象となる。その時「畏れ」が勝るか「敬い」が勝るかは、まさに母次第、ということになる。
DQNの真ん中で、愛を叫ぶことができるか?
私には、この「どの母の息子になるか」という違いが、「その家の財力」以上の格差を生み出す原因にも思える。はたして、
母>>>>越えられない壁>>>>父と同様に、
賢母の息子>>>>越えられない壁>>>>愚母の息子
となってしまうのだろうか?
壁の高さを意識しつつも、こちらの方の壁は超えることも打ち破ることも出来るのだと信じたいのだ。
ここではあえて「3次元」の例ではなく「2次元」の例を見て行くことにする。
うる性やつら
まずは、本田氏も取り上げていたうる星やつらだ。
「電波男」ch.3/pp.289ラムちゃんは浮気性でモテ要素の全くない主人公・諸星あたるにべた惚れしているが
そのラムちゃんが最終巻で、あたるに一世一代の「夫婦喧嘩」を挑む。
そういえば、なんでラムちゃんって、なんであたるが好きなんだったっけ?俺も忘れちゃったYo!
答えは最終巻に書いてある。
彼が徹頭徹尾、諸星あたるであることをあきらめなかったから、だ。彼は地球が闇キノコに覆われようが、まわりにどれだけ突っ込まれようが、「浮気性でモテ要素のない」自分を貫き、「好きだ」を拒絶し,鬼ごっこを選ぶ。
あたるにモテ要素がないって?究極のダンディではないか、彼は。私が女なら惚れる。実際ラムちゃんが登場した後のしのぶだって、ちょっかいをだすあたるを机で殴りつけても、以外とまんざらでもなさそうだったし(とはいっても、しのぶにも別の「彼」が出来るのだがそれは別の機会に)。
その彼をダーリンにするラムちゃんは、さらに凄い。ラムちゃんがあたるに「勝ちを譲った」時、これを確信した。
最高の女>>普通の女>>>越えられない壁>>>>最高の男
あたるに惚れてしまったとしても、ラムちゃんから正妻の地位を奪う気はまるで起きないわ、これでは。
高橋留美子ほど男心をきちんと描ける漫画家を私は知らない。彼女が女であるという事実を指摘するだけで「超えられない壁」に対するQ.E.Dになるような気もする。
同時に、諸星あたるは、
モテ男 >>壁>> 喪男を超える方法として「ただ正面突破あるのみ」という証明の一つでもある。あの鬼ごっこ以外にどうやってあたるはラムちゃんの角、そして心をつかむことができたというのか?
本田氏は、真剣におにごっこするあたるに対しても,「萌えの勝利」を解くのだろうか?
おたくの魂に安らぎあれ
次に紹介するのが、「あな魂」こと「あなたの魂に安らぎあれ」だ。神林長平は雪風とアプロのおかげで、官能作家とは見られていないようだが、なかなかどうして「脱がせてもすごいんです」。
「あな魂」も、もちろんSci-Fiとしてもすごい作品であるのだけど、ここでは「玄鬼と舞子のラブストーリ」としてあえて考察してみる。玄鬼は魂教会の司祭。幼い頃から才能を見いだされて、司祭になるために性神経をブロックされている。舞子は売春宿、「舞子の牧場」の女主人。一人娘、絵莉を女出一人で育てている。教会に嫌気がさした玄鬼が、教会の献金を使い込んで「強制勃起」のためのマイクロポンプを埋め込み、教会を出て行く前に舞子を呼んだところから二人の物語は始まる。
セックスから始まって愛に終わるという話は、他にも柏木ハルコの「いぬ」という大傑作があるが、これは別機会に取り上げる。
舞子は売春婦として、絵莉はその娘として蔑まれ、陰湿ないじめにあっている。この破沙洞窟世界では通貨Wの元締めが「あかほりシステム」の頂点にいて、舞子と絵莉はいわばその最下層にいる。実はその下にはアンドロイドがいるのだが、そのアンドロイド達は、人間達には訪れることはできても住むことはできない、地上の門倉京で人生を謳歌し、実は「より完全な人間」として「洞窟人」たちを見下している....そんな循環構造の矛盾を洞察し、それが根底から崩壊していく様子を予知した玄鬼は、教会,そして破沙洞窟を出て行く。舞子が再び彼を探して教会を訪れることも知らずに....
私は本気で--ああ、嫌になってしまう。彼には一度だけ、それも仕事で会っただけなのに、こんな気持ちになるなんて
という舞子と、そんな舞子を洞窟に残して彷徨う
しかし、まだ私は安らぎを得たいとは思いません。私は熱く燃えたいのです。セス、私にお告げ下さい。私の舞子はどこにいるのか。
という玄鬼の切なさときたら。
実はこの玄鬼と舞子、逢うのは物語の最初と最後の2度きりである。その間、玄鬼は放浪し、舞子に萌え続ける。構造的には
セックス -> 萌え -> 愛(正確にはその予感)
となっている。これも愛ではないのか?本田氏が「素人童貞」差別を糾弾するその裏には、売春婦たちへの差別はないのか?イケメン-女-フツメン-キモメンのピラミッドの下に「売女」を無意識においてはいないか?
夢枕獏をして"わくわくしているのである。少し困っており,それには嫉妬も混じっていると言う,そう言う状況なのである。"と言わしめた傑作,だまされたと思って読んで下さい。あなたの魂が安らぐこと請け合いです。
God Save the きもおたくん
最後とりあげるのがすげこまくんだ。もう名前からしてすごい。「キモオタ」なんてまだこれに比べればかわいい。しかも自分で名乗ってる。
なにせ日本で唯一の「核保有高校生」すげこま様である。「文武両オタク」の極みである。それだけに妄想力も3次元にはみ出るほどすごい。萌え(というよりすげこまレベルだともう「燃え」だが)の対象、松沢まみ子先生の脳内イメージをそのまま拡張して、M1号という「コピーロボット」まで作ってしまう。
言ってみれば、本田氏が「みさきボット」を作ってしまうようなものだ。
しかし、すげこま君はそれで癒されるどころか傷ついてしまう。M1号と「アレをした」ところで、「6回目ともなると理性が目覚めてしまって」、まみ子たんのコピーにしてまみ子たんにはなれないM1号をポンコツよばわりしてしまう。見よ、この喪闘気の凄まじさ。
みさき先輩を「脳内妻」にした本田氏は、本当にそれで「護身完成」しているのだろうか?妄想をさらに発展させ、「ボディースーツ」が完成し、「掃除もしてくれるみさき先輩」が現実のものとなった暁に、「理性」が目覚めることはないのか?
そんなすげこま君は、「3次元」の松沢先生とは、あやうい予定調和の関係にある。すげこま君はいつも松沢先生に難癖をつけては、監禁しコスプレ緊縛している。そんなすげこま君の魂が救われることを一番願っているのは松沢先生だが、そんな彼女も「先生」という枠と「処女」という枠から抜け出せないでいる、どころか枠があることに気がついてすらいない。
これ以上語るのはネタばれの上無粋なので、後は読むべしといっておくが、松沢先生の最後...から二番目のページの台詞はここに留めておきたい。
はじめて帰るような気がする....「家」に。
おたくが愛を語る時に、永野のりこは絶対にはずせない。愛が濃ゆすぎていまいちメジャーでないのが残念だが、「電波男」の売れ行きを見ても、この「新しすぎる天才」もそろそろ世の中に受け入れられてもいいと思う。
「新しい」という点では、この女(ひと)は人妻どころか乳飲み子を抱えて、持ち込みデビューしている。おたくとしてみたら何重苦になるのだろう。しかし「怪獣どろみ」であることをやめず、それでいて母であることもやめず、成人した娘も明るく立派なおたくになっている。
すごい、すごすぎる。麻雀で言ったらクワドラプル役満*だYo!
- たとえば四暗刻+大三元+字一色+四槓子。努力の結果なのであえて天和、地和、人和はのぞく。
愛とは迷惑をかけあうこと
あとがきで本田氏は叫ぶ。
なぜ、誰にも迷惑をかけずに生きる道を選んだ俺たちが、なおも差別されなくてはならない。
その「迷惑をかけない」というこそ、実は女たちへの最大の侮辱だということに氏は気づいていないのだろうか?「人様に迷惑をかけない」ということは、「人様をシカトする」というのと同義だ。
人間がお互いに赦しあえる家族を求めて何が悪い。
というのであれば、迷惑をかけずして何を赦せというのだ。「沢村優羽」ちゃんに
「こんな女、現実にいるはずがないじゃん、いたら見てみたいわね」
とのたまった彼女の冷笑が、実は優羽ちゃんに絶対なれない自分に向けられているということは氏には見えなかったのだろうか?
だめんずを一見嘲笑している倉田真由美が笑い飛ばしているのは、実は自分を含めた「ばか女」たちであることは見えないのだろうか?
この世界が憎しみと悲しみに満ち満ちている現実から、逃げる男達。
この世界が憎しみと悲しみに満ち満ちている現実を、笑い飛ばす女達。
勝負ははじめから見えている。
女>>>>越えられない壁>>>>男
というのは、生物学的壁である。そう。か弱きもの、汝の名は男、である。
だから、もっと迷惑をかけていいんである。
諸星あたるみたいに。
人殺しは論外だが、「傷つける」ぐらいいいのである。どうせそうしたところで、より深く傷つくのは男なのだから。実際は自分たちの方がずっと強いのに、さらにか弱いふりをしてさらに男から搾り取るほど彼女達は強かなのだから。
きずつけたっていいぢゃないか みじゅくだもの
シャカ萌えに説法
もっとも、本田氏は上に述べたことは先刻承知の上で「電波男」を著わしたのだとも確信する。それは、以下のインタビューを見れば明白だ。
「本田透インタビュー 真実の愛を求め、俺たちは二次元に旅立った!(7/7)」 スペシャルインタビュー | Excite エキサイト : ブックス(文学ガイド・書評・本のニュース)妄想というのは現実における挫折や不満から湧いてくるというのが『電波男』の理論ですから、妄想が湧かない人は、わりと幸福というか、トラウマ分が少ないのではないでしょうか。……僕はもう30過ぎちゃったから護身だとか二次元だって言ってますけど、若い人は行くべきですよ、どんどん三次元に。そこでいろんな経験積んで「ああ〜っ」ってトラウマを背負うと、どんどん妄想力が上がって行くんですよ。若いときから完全に三次元を遮断してしまうと、妄想力が働かないと思うんです、情報量が少ないんで。いろいろ「ひー」みたいな目にあってトラウマを溜めるとそれがエネルギーになるんですよ。僕も将来枯れてきたらもう一度三次元に突撃して、「ぎゃああっ」みたいな。「萌えの超回復理論」ですね。
氏もまた傷の効用は知っているのである。
本来、二次元と三次元を両立できるというのが一番理想的なんです。第4章で書きましたが、みんなに三次元を捨てろとは言ってないんです。僕のようにもうどうしようもなくなった人は捨てることによって幸せになれる、二次元だけに生きても構わないんだ。別に悪いことじゃないんだ。ということなんです。
「萌え男」一般論に対してはそれでいいと思う。また、「電波男」の画期的なところは、
にじげんでも いいぢゃないか をたくだもの
ということに尽きる。二次元だっていい。ひきこもったっていい。首相も言うとおり「人生いろいろ」なんだから。
しかし、本田氏、あなたは「電波男」を世に問うてしまった。
「世に問う」ということは、「赤の他人からの傷を甘んじて受ける」ということでもある。
それは、「萌える男」から「燃える男」になるということである。
「ラインハルト」と「江原総統」が 存亡をかけて戦ったように。
だから、
たけくまメモ: 本田透君が心配だ(2)そういうときに、まるで脳内から抜け出てきたような、一回り以上も年下のロリ系巨乳ギャルが、押しかけ女房のようにあなたの部屋に転がり込んできたら、本田君はどうする?
迷わず押し倒し,据え膳を皿どころか机まで平らげて欲しい。一つがいの豚となって「ブキィーッ」となってもらいたい。血と汗と涙と愛液にまみれてもらいたい。
愛想はつかされたらそれでよし。
つかされなくても、それでよし。
それでも残っている「燃やしても萌えつきぬ」ものこそ、本当の萌えであるはずだ。
本田氏は「護身完成」などとうそぶくが、悪いが私に言わせれば、どんなに魅力的でも、テストが全くされていないプログラムである。一オープンソースプログラマーとして、make testも終わっていないものをインストールするわけには行かない。
一番のテストはmake loveだ。
Give women a chance
本田氏は、母に愛されず、父に捨てられたリバプルールのマザコン妄想男の歌で書を締めている。
私も彼の歌の一節をもじって、本Entryを締めることにしよう。
All we are saying is give women a chance
Dan the Man
追伸
たけくまメモ: [電波女]男は宇宙のカス本当、いい本はすぐ品切れになるのでうかうかしてられません。
まったくだ。おかげで「ルサンチマン 2巻」がどうにも入手できない。困ったことに手元では歯抜けである。
上から下に見下すしか出来ないんだろうね。