本書の最後の文である*0。なんて傲慢な言葉だろう、と思われたのではないか?

しかし、だまされたと思って読んでほしい。最初から最後まで読み通して、最後にもう一度この一文に出逢ってからもう一度この言葉の意味を噛みしめてほしい。

本書は、philosopher が書いたphilosophyの本である。あえて哲学とは言わない。かねてから「哲学」というのは誤訳とは言わないまでも、不適切や訳だと思っていた。「哲」の字がよろしくない。これでは「頭のカタイヘンクツヂヂイが、カビの生えた観念に固執している」というイメージがどうしても浮かんでしまう。本当にそういうセンセイも少なくないようだが、「哲学」は本来「凝り固まったアイディアから自由である」ことに「哲する」ものであるはずだ。

ギリシャ語の本来の意味は、「愛智」。地球博をやってる「愛知」に似ているが微妙に違う。ここで愛しているのはinformationではなくてintelligence。本書は、智を愛すことを通して人を愛すことを学ぶ本でもある。

この本のテーマは、正義、自由、規範、生vs死、文系vs理系、民主主義、国家、そして人類....朝生が好んで取り上げるような、逆に言うとワイドショーが敬遠しがちな、合コンでは絶対避けたい重い話題ばかりだ。

百戦錬磨のだめんずうぉーかー たちが裸足で逃げるような話題を、しかし著者はこう挑んでいる。

わたしがしようとしているのは、現状をありのままに見つめ、そこを出発点として前に進む道を探ることなのだ。居直らず、諦めず、居丈高にならず、ふて腐れず、半歩でも前に進むにはどうしたらよいかを考えることなのだ。[pp. 216]

本書はその希有な成功例だ。

著者には小林よしのりの迫力も、日垣隆のペーソスもない。もちろん知名度はずっと低い。下手すると私より。彼は言葉を荒立てる事もなく、彼が導きだす「とりあえずの結論」は、一見月並みだ。

それでも、ワイドショーとネットで情報の洪水にさらされ、疲れて荒んで本を読む気力も失せてしまった現代の日本人の多くに、今あえて一冊本を薦めるとしたら、私は本書を推す。

落ち着いた言葉の裏には、膨大かつ精密な知識があり、「月並み」な結論の裏には、大胆かつ緻密な思索がある。私は自分の浅学非才を改めて思い知らされて、壮快な気分を味わっている。

強いて難点を上げると、註が多すぎるのと*1私の好みより気持ちユーモアが少ないところか。でもその数少ないユーモアは秀逸だ。一つだけ引用させていただく。

バカに関して言うなら、「理系とハサミは使いよう。文系につける薬はない」[pp. 108]*3

強引かつ尾籠なたとえで申し訳ないが、さまざまな異性(人によっては同性も)とさまざまな体位で交わりまくった結果、一番いいセックスは配偶者やステディとの正常位だったという感じだ。読後感もそれに似ている。お互い気心も知れ、何度となく体を交わした相方と、久しぶりにまぐわった後の、安心感の混じった気怠さ。

著者の正式なタイトルは「法哲学者」。現在「 IT法学教育科研費プロジェクトに従事」とある。「 IT法学教育科研費プロジェクト」が何かを私は知らないし、この言葉でぐぐっても本書の紹介しか出てこない。しかし国費が投入されているプロジェクトであるらしいのはわかる。少しだけ、納税者であること*1を誇らしく思ったのと同時に、なるべく近い将来にこの人が、その教養と見識にふさわしい地位に就いてほしいと願った。「 IT法学教育科研費プロジェクト」を卑下するわけではないが、どう考えてもこの人には小さすぎる。私が選挙参謀であれば、この人を絶対スタッフに加える。

ちなみに、彼の公式サイトのURIはthinker.jp。こちらは彼にふさわしい。彼こそ日本で最もこのドメイン名が似合う男だ。

Dan the Philosopher@Large

  1. あとがきはもちろん、長めの補論と註がその後にも出てくるが、本編としては最後の言葉。
  2. Webだと気にならないのだけど、紙の本だとちょっとあだになる。
  3. 去年度は某社長より多額:) それでも彼の俸給にまわる分は一円にも満たない--と思ってきちんと計算してみると、どうやら一桁ぐらいにはなるようだ。私が払った印税分よりは依然少ないが。
  4. 正しくは以下のとおり。ご本人のWebより。 美人と哲学者のほめ方
    正しくは バカに関して言うなら、「理科とハサミは使いよう、文科につける薬はない」 なのだ。バカ、リカ、ブンカで脚韻を踏んでいるわけ。
    恐れ入りましたm(_._)m