なぜ彼の語る「愛国心」がこれほど幼稚に感じるのか、やっとわかりました。

彼に、愛が足りないからです。

噴飯もののコメント?はあ。私だってこれを見て吹き出しそうになりましたよ。でもそうなんだから仕方がない。それを今から説明します。

結論を急ぐまえに、ヒントを少し出します。まず、この手の違和感を感じるのは、彼が「愛国」に関して語っている時に限るということ。文芸批評家としての彼、例えば「作家の値うち」を読んだときには、「ああ、俺より本を読んでる奴がいたんだ」と素直に感心しました。もっとも、「作家の値うち」の田中芳樹の項目に、「銀河英雄伝説」も「アルスラーン戦記」も「創竜伝」もないのにはえらく奇異な思いをしましたが、今思えば、今回の発見で説明がつきます。

彼が「愛国」を説くときに感じる違和感は、軍事オタクたちのチャットや架空戦記モノに共通します。智の香りはあっても血の臭いがない。どんな血なまぐさいエピソードを文中で紹介していても、全体としてはまるでプラスティネーションされた死体のように鮮明で、それでいて実感がない。

彼の言うことはいちいちごもっともなのだけど、だからといって「明日から恥じる事のない人生を送ろう」と身を引き締めたり、「誇りを持って責任を果たそう」と襟を正したりといった気持ちはまるで起きないんです。こみ上がってくるのはむしろ「お前にいわれたかねーよ」というしらじらしさ。

そう、彼は安楽椅子に座ったまま、国に殉ずることを説いています。私にとって一番恥ずかしいことは、自分で出来もしないことを人に滔々と説くことなのですが。それも「俺もまだ不器用だけど一緒にやってみるか?」という視線ではなく、「君、君たれど、臣、臣たれ」といわんばかりの一方さ。

彼にも恥の概念が0というわけではなく、同所の冒頭で、一応こう「言い訳」をしてはいます。

しかも、人様のことを指弾して、幼稚などと云えるほどの、立派な人生を歩んできたわけではありません。
二児の父ではありますが、ずっと売文の渡世を続けていて、三十五歳まで堅気な仕事はした事がない。

気になってWikipediaを見てみると、彼は実業家の御曹司で、絵に描いたようなエスカレーター式の進学の後、親父の会社に6年間いた後、母校慶応に戻ってきたということらしい。

これ以上堅気な人生ってあります?実に立派な人生じゃあありませんか。これを堅気でないというのはずいぶんと不孝では。

まだ童貞のませガキがセックスについて一席ぶっているような滑稽さが伴うのも無理はありません。自分自身は命を賭してなにかをしたことがないんだから。たぶん彼はいじめもせず、いじめられもせず、成績は優秀でも最優秀というほどでもなく、ねんごろにおだやかに育てられたのでしょう。そんな中、さまざまな本を読み、「これがセックスだ!」とその時点で結論してしまったのでしょうね。かわいそうに。

愛って、誰にも「思う」ことができるけど、「する」のは実に難しい。実行を伴って初めてナンボですから。だから、知れば知るほど迷うし、軽々しく口に出せなくもなりません?彼の「愛国」って、TVでよくやる「愛は地球を救う」の愛なのかしらん。

提案。こういうタイプを萌国者と呼ぶってのはどうでしょう?

父親の責任というのは、子供たちに「国のために死ね」と語ることであると、私などは思うのですが、いかがでしょう。

「そしてそれを実行する」というのはどこへやら。妻子のために死ぬことと、国のために死ぬことは実はそれほど矛盾しないようにもできるはず。これは別Entryをあてて説明することにします。

せめて、橋田さんみたく「イラクの中心でバカ」と叫んでみたり、それが出来なくとも舛添教授みたいに国会議員になるなりしていれば、こんな風に年上の御仁を捕まえて厨房呼ばわりする必要もないんですが。よっぽど座り心地がいいんですね、慶応の教授の椅子って。せめて愛国学部をこさえて、卒業生は日本の危機に際して真っ先に死ぬようにするとか。

銀英伝をあえて書評から外したのは、自分があまりにヨブ・トリューニヒトに似ているからかも知れません。(というより、キャラ的には3巻の「査問委員」の「なんちゃらオリベイラ」さん)。その程度には恥をご存知のようで。

Dan the Embarassed Man