吉田秋生は、天才漫画家である。

「漫画家として天才」というのではなく、「天才を描く漫画家」という意味であるが。

ネタバレ注意!

この女(ひと)は、天才というのが天災だということを実によくわかっている。アッシュにしろ、凛と静にしろ、そしてアリサと死鬼(スーグイ)にしても、自分たちに与えられた才能(gift)は呪い(curse)として働いている。

さらに追い打ちをかけるかのように、ゴルツィネにしろ、雨宮親子(祖父と父)にせよ、シュライバー博士にしろ、天才をある意味最も評価する人々が、天才たちがもっとも忌むべき存在になっている。天才が最も嫌うのは、人格を無視して才能だけを求められることだからだ。

天才達は哀れだ。一つ目国の二つ目人たちを祝福する一つ目人はめったにいない。彼らは生まれつき孤独で、生まれつき搾取される運命にある。

しかし、もっと悲しいのは、天才達をありのまま受け入れる人々だ。彼らは天才を理解できないという苦悩と、凡才たちを敵に回すという苦痛の二重苦に陥る。天才達の数少ない、いや唯一の心のよりどころである彼らは、天才を利用したい人々の最大の敵でもある。よって天才を奴隷化したい勢力にとって、格好の標的となる。

吉田秋生が残酷なのは、このことを熟知していることだ。ショータにしろもいっちゃんにしろ、出て来たとたんどういう目にあうのかがわかってしまう。天才を愛する者たちは、天才たち以上に長生きすることは許されないようだ。吉田世界でも、現実でも。

彼女の残酷さは、ますます磨きがかかっているようにも見える。「天然もの」の天才アッシュには、まだ図書館での安らかな眠りが約束されていた。しかし「合成もの」に関しては、凛はその屍さえひろうものなく、静は生ける屍にされてしまった。アリサと死鬼にはどんな運命が待ち構えているのか。

それにしても、吉田世界ではもはや天才も「レアモノ」((C)冨樫義博@Hunter x Hunter)とは言えなくなっている。なにせ凛と静にしてからが遺伝子操作の作品であるし、その娘のアリサにもその形質が遺伝しているようなので、どうやら「天才遺伝子」は優性遺伝らしい。これがもう絵空事といい切れないのは周知のとおり。

しかし、天才ってそんな大したもんだろうか?それに対する答えが、「イブの眠り」第3巻に出てくる。「Yasha」から18年。もいっちゃんの弟で静の同年生だった十市も今では心臓外科医。死鬼に「肉体を奪われた」静に、彼は当時を振り返って独白する。

もいっちゃんを....おまえは命をかけて救おうとしてくれた
だがどんなに手を尽くしても救えない命はある
当時すでに医学者だったお前は そのことが痛いほどよくわかっていたはずだ。

十市は静の倍の時間をかけたものの、同じ境地にたどりついたわけだ。

結局天才の所業というのは、時間さえかければ誰にでも理解し、追いつくことができる類いのものだ。「世界で数人しか理解できない」といわれていた相対論だって、特殊相対論なら利発な中学生にだって数式まで含めて理解できる程度のものだし、もっと難しい一般相対論だって、せいぜい大学院レベルだ。

天才なんて、その程度のものだ。

その程度の gift に対する curse は凄まじい。ほんと、ろくなものではない。

分数の割り算を出来ないふりをしていられればどんなによかったか。

Dan the (Gifted|Cursed)