この社会は親にどこまで要求すれば気が済むのだろう。

週刊!木村剛 powered by ココログ: [ゴーログ]キレル小学生の教育は親の責任です!
そりゃ、あんた、親のしつけの問題でしょ!
 とついつい叫びたくなります。だから、「本当の教育とは何なのか? 学校だけの現場だけでなく、国の将来を見据え百家争鳴な議論が必要なのではないだろうか? 教育に失敗は許されない」という主張に対しても、「まぁ、そりゃぁ、マクロ的にみると、そうかもしんないし、日本全体の問題としてはそうなんだけどさぁ・・・」と前置きしながらも、

というキムタケさんの感想とは裏腹に、本書を読むと、日本の親達がいかに子供たちの面倒をよくみているのかがわかる。そして皮肉にも、そのミクロの善がマクロの悪となって跳ね返ってくる構図が見て取れる。。

日本の親達は、他の先進国であれば政府が出してくれるはずの子の学費を払い、法的には成人でも「一人前」の稼ぎは得ていない子に住まいを提供し、いつ終わるともわからない「子育てを」何とか続けている。

こうした親たちを見て、子たちはますます大人、ましてや親というのはペイしないものだという達観を深め、結婚はますます遅くなり、また結婚しても子を作らなくなっていく。

というのが本書の分析であり、私もうなずかざるを得ない。幼子の教育も親の責任、老親の福祉も親の責任ではいったい誰が喜んで親になるというのか?

面白いことに、欧州では面倒見のいい親がいる南欧の方が、面倒見のいい社会がある北欧より出生率が低い。イタリアは日本よりさらに低い1.18である(1999年。ちなみにその年の日本は1.36)。

社会人の常識もわきまえず、自立するだけの経済力ももたない小学生が、一応社会人の教師に楯突くなぞ20年早いのであって、

これが今では「社会人の常識もわきまえず、自立するだけの経済力を持たない20代が、一応社会人の親にたてつくなぞさらに20年早いのであって」となっている点に我々は気がつく必要があるのではないか。

社会人の常識もわきまえず、自分の老後を賄うことを怠り、社会設計も放置した今の親達に、生まれた時から借金を背負わされている小学生に説教を垂れるなぞ2世代早いのではないか。

と、切り返されたらどうお答えになりますか、キムタケさん。

もう一つ忘れてはならないのは、子に対する責任を親にばかり負担させていると、親の世代の格差が子の世代にそのまま反映されやすいということだ。そこでは母子家庭とシックスポケットの差は絶望的なものとなる。

一つ不思議なのは、日本ではすでに年金や保険を通して老後の面倒は社会が見るという仕組みに変わっているのに、未成年の面倒は相変わらず家庭が見るとなっていることだ。これは片手落ちなのではないだろうか?

Dan the Father of Two