この意見に禿同しつつも、あえて揚げ足をとらせていただく。
Espresso Diary@信州松本:突出した個性が認められる日本に。テレビと、新聞と、雑誌と、ネットだけに囲まれ続け、そのコピーや反感を書いただけで、まるで自分の意見を持ったように感じていられる幸せな人たちが・・・。私は違う立場ですね。おそらく、多くのブロガーたちは、年寄りと共に働いた経験も少なく、町内会などの自治活動に参加したこともなく、しかし、マスコミだけは人一倍に見ていて、それで意見を言っているのだと思います。私は、早くマスコミ漬けから脱却して、自分で考えることができる力強い日本人が増えることを祈るばかりですね(笑)。
確かに現場を踏むというのは、読解力と想像力を育む最短コースのようにも思える。百聞は一見にしかずどころか、百万聞でやっと一見に及ぶというのが実感だ。
しかし、「非常」の現場というのが確かにあり、そしてそういった「現場」に対しては「経験を積め」と軽々しく言えない現実も確かにある。極端な例では「戦争」だろう。鉄砲を担いだことがない奴に、戦を語る資格がないとするとかなり困った事になってしまう。この方法で「経験値」を上げる事がまかりとおるのはもはや合州国ぐらいだろう。
こういった場合は、想像力を働かせるしかない。自分で働かせることが適わぬのであれば、せめて人の考えた事を見聞きするしかない。まさにそれこそメディアの役割であるはずなのだが、想像力を喚起する作品の少なさには飽きれるしかない。もはやそこでは「コンテンツ」というのは、視聴者や読者の思考の手助けをするものではなく、作り手の仕事を生み出すものでしかないようだ。
だから、私は「マスコミだけは人一倍に見ていて、それで意見を言っているだけ」のblogを肯定する。少なくともこれらのblogにはTBやcommentで反論する余地があり、それが「経験」となる可能性が残っているからだ。もちろんそこから「成長」してその状態を「脱却」出来なければそのblogは誰にも読まれもしないのだけど。
「自分で考えることができる力強い日本人」を育てるためには、自分の考えをぶつける場が必要なはずだ。その点に関しては、今のblogosphere japonicaの隆盛は力強く心強い。むしろ心配なのは、各Entryで繰り返し述べて来た、日本語人口、それも最も創造力のあるはずの若年人口の減少だ。いくらいい場があっても、人がいなければ文字通り「お話しにならない」のだから。
Dan the Bored Man
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