あれ、キムタケさんとも思えない初歩的なミスが。二日酔い?
週刊!木村剛 powered by ココログ: [ゴーログ] 「優しい経済学」は本当に優しいのか?売り手は、買い手を選ぶ権利を持っています。お金持ちを優先しなければならないという義務を負っているわけではないのです。そして、上記の叙述で展開されているような人々の心情として、「一〇円しか払えない貧しい人」を優先するのが人の道だと思われるような場合には、通常の売り手であれば、銭の道ではなく人の道を優先するでしょう。
上の文章、大事な言葉が抜けている。
売り手は、市場を通さない限りにおいて買い手を選ぶ権利がある。一旦市場に出したら、それはもはや売り手のものではなく市場のものだ。そして(近代的)市場においては、参加者の属性は売値と買値だけだ。酔っぱらいと重病人を区別したりしないのだ。
念のために断っておくと、ここで言う市場は、為替、債券、株、商品などの近代的な、参加者の顔の見えない市場のことを指す、「朝市」などの「古典的」な市場は、近代的には「相対取引」ということになる。
そう。近代市場には2chもおよばない強烈な匿名性があるのだ。2chにはまだコテハンがあるが、市場では参加者はすべて「名無し」である。このことを抜きにして市場の効率性、そしてそれによる無慈悲性は語れない。
キムタケさんの言い分は、より正確かつ包括的に言うと、「売り手も買い手も、市場を使わない権利がある」ということになる。市場参加は権利であって義務ではない。ところがそれが民営化という圧力により事実上義務化されるというのが「優しい経済学」の主張のように思える。私はまだ同書を読んでいないので、このことは憶測なのだが。
「銭の道より人の道」というが、それでは本blogでも議論している「飢餓国による食糧輸出」というのは一体どう説明つくのだろう?売っている方にだって人の道を優先できるだけの余裕があるとは限らない。だったら「最も高く売れる」市場に売ろうということではないのだろうか?人の道を優先できるのは、通常の売り手ではなく余裕のある売り手であるということを忘れてはならない。
2chと同じく、市場というのは「場」に過ぎない。それそのものに善悪はない。人でないものに人の道を説くのは空しいだけではなく、本来「人でない」から出来ることまで「人力化」するという意味において有害だとすら考えるがいかがだろうか?
Dan the Anonymous Trader
スミマセン。
寝ぼけてトラックバックを2度送ってしまいました。
お手数で申し訳ありませんが、片方を削除していただけないでしょうか?
ご意見は卓見であると思います・・・。