なんとも真性引き篭もりの真骨頂たる穿ち(杉)方だ。

真性引き篭もり/entry
即ち、アフィリエイトを「アサマシ」と呼び変えている奴らは自らの権益の為にそれを行っているのであり、それはちょうどお小遣いサイトの運営者や情報商材の販売者が自らの利益の為に「アフィリエイトをはじめましょう」と言っているのと、まったくに同じである。

私が穿ち過ぎだと思うのは、この「アサマシ」という言い回しが、日本固有であり、また「粗品」や「ふつつかもの」という「へりくだり」に構造が似ており、そして「あさまし」はとにかく、「謙譲」までこの論理で説明するには強引すぎると思うからである。

とはいえ、私もまた「アサマシ」という表現には違和感を感じている。

やはり「アサマシ」というからには、料率交渉の主導権まで握っている、Yahoo!などのポータルクラスでないととてもじゃないが使えないと思うのだ。通常アフィリエイトでは、料率や支払い条件はプログラム主催側が行う。アフィリエイターは主催側の主導する、主催者側に有利な契約に基づいて広告表示位置などを決定する。アフィリエイターの手間の絶対量が少ないから、アフィリエイターの「こんなに簡単なことでお金をもらえるのだ」という気持ちが「アサマシ」という表現につながるのだと思うが、実際には貴重な手間も場所もアフィリエイター達は提供しているのだ。アサマシいところはどこにもない。しごくまっとうな、しかも相手に有利な取引である。

私が「アサマシ」に感じる違和感は、まるで手間がかからないから税を源泉徴収されている状態を「アサマシ」と言われた場合に感じるそれと近い。確かに確定申告という手間は省かれているが、きっちり税は納めているのだから、へりくだる必要がどこにあるのだろう。

強いてアサマシいのは誰かといえば、プログラム主催者だろう。そのアサマシさも主催者によって違う。私の感覚ではアサマシ度はGoogleの方がAmazonより高い。が、手間の絶対量はGoogleの方がずっと少ない。

というわけで、アフィリエイトを「アサマシ」と言い換えるのはOK。ただしアサマシいのは主催側というこではいかが?

Dan the Greedy Being