あえて以下の意見に反論を試みる。

いや、反論というより「拡張」だろうか。

貞子ちゃんの連れ連れ日記
大人になるということは自分のことは自分で決めて その結果については自分で責任を取る気概を持つこと。
池内ひろ美の考察の日々: 子育ての「進化論」
子育てとは、子どもに将来一人で生きていく力をつけさせることだ。

我々が「一人で生きて行く」場合に使う「独立」というのは、植物の「独立栄養生物」というのとは違う。後者は Independent であるが、前者は Interdependent だ。訳すならやはり「共立」だろうか。

思えばどんな組織体--システムも、他の体との関係において以下のような進化の過程を経るようである。

  1. 孤生
  2. 寄生
  3. 共生

生物を例にとると、0.の孤生段階では、生物は他の生物の存在を前提にはしていない。必要なのは水や炭酸ガスといった「無機物」と光などの「エネルギー」。宇宙に対しては「開いた系」であるが、生物に対しては「閉じた系」である。本来の「独立」はこちらで、人間社会だとロビンソークルーソといったところだ。

0.段階の体が系を満たすと、1.が現れ始める。他の系から一方的に収奪することで成り立つ系が登場するのである。社会的には被支配者と支配者という言い方をするが、どちらかといえば「宿主」と「寄生者」の方がしっくり来る。

そして1.の体系が「成熟」すると、いよいよ2.の「共生」が登場する。ここでは系の各体は「宿主」にして「寄生者」だ。足りない部分を系から「収奪」しつつ、余った部分を系に「還元」する。我々が言う社会的聖人というのは、これのことを指す。

実は電網の進化もこれに例えられる。0.がスタンドアローン、1.がホストとターミナル、2.がインターネットと言えば良いだろう。

人間の子育てでは、いきなり1.からはじまり、2.を確立した時点で「独立」となる。親への「寄生」が切れたからといって、社会への「寄生」まで終わるわけではない。しかし社会は一方的「寄生」をよしとはしない。社会から何かを引き出そうとしたら、社会に別の何かを還元しなければならない。この関係を「経済」というのだろう。

そこで大事なのは、何でもかんでも自分で出来るようになることではない。何が出来、何が出来ないかを知り、それを的確に告知することである。そう。共立の条件というのは 共知=communication なのだ。

「ウソ」が罪になるのは、虚報こそ共知の最大の敵だからだ。今回の建築図面偽造から粉飾決算まだ、虚偽による事件を「だまされる方が悪い」で両断できないのはそのためである。騙したものが制裁されないのでは、寄生こそが「極層」になるのだ。そうではなく共生が「極層」になっている背景には、系に「破壊者」を排除するための仕組みが組み込まれていてこそだ。

しかしだからといって、「騙されても社会が面倒見てくれる」では、「告知コスト」が高くつきすぎる。「ウソをつかない」では充分ではないのだ、「聞かれもしなくても正直に洗いざらい話す」までやらないと、とても「社会が詐欺被害を全補填」するところまで持って行けない。程度の差こそあれ、「疑うコスト」というのは社会参加者全員支払うべき「税金」なのだ。

だから問題はその「税率」ということになる。我々は全てを疑うほど賢くなく、さりとて全てをさらすほど強くない。長期傾向で見ると、「相互監視から相互公開へ」という流れが長いこと続いて来たが、この流れもそろそろ終わりが見えて来たように思える。すでに合州国のような訴訟社会においては、「被害者が最大の利益享受者」、平たくいうと「やられたもの勝ち」のような状況も散見され、コストに耐えかね廃業するケースも出て来た。

「全てを疑って」は社会参加する意義がなく、「社会に全てをゆだね」られたら社会が持たない。我々はどの辺で折り合いをつけるべきだろう。親から「独立」しても、この問いは一生続いて行くのだ。

Dan the Interdependent Being