貞子ちゃんのご母堂の冥福を祈りつつEntry。

貞子ちゃんの連れ連れ日記
マスメディアの方々は 『銀行への公的資金の注入』は大々的に報じましたが その公的資金を銀行が国家へ返済し続けている事実は ほとんど報道しません。

実際報道はしているし、少なくとも銀行株を売買している人たちは皆知っている事だろう。しかし注入時ほど大きくは取り上げない。皮肉にもそれは

個人も 何代かかっても 銀行から借りたお金は少しずつでも返しつづけるという基本スタンスを守るのが 法治国家というものだと思います。

「個人も」を「銀行も」に、「銀行から」を「政府から」にそれぞれ変えれば、銀行がやっていることもまた基本スタンス。こうした「犬が人を噛む」ような「当然」のことは大きなニュースにはならない。人が犬を噛んで、はじめて大きなニュースになる。倒産のニュースは大きく報じられても、再建完了のニュースはひっそりと報じられるものだ。

んで本題。

健康で仕事も失っていないヒューザー事件の個人被害者の銀行ローンを 銀行にチャラにさせようとする考えは 一種の徳政令ですから 日本は法治国家ではなくなります。商法上まず不可能だと思います。

私が前回述べたスキームは決して徳政令ではない。住民に土地と(使えない)建物が残った上で借金チャラであれば徳政令だが、これらは売値で買い取られる。それ自身は正当な売買契約だ。

厳密には前回述べたスキームは、銀行自身がやるより、「不良建物再建機構」のような仕組みを作って銀行がそこに出資するというのが望ましいが、それでも銀行が主力となって処理を進めるのが望ましいと私は考える。

まず、住宅ローンという商品に対する信用の回復。銀行の個人向け商品で最大のものがこれである以上、これの信用を確保するというのは銀行の理にかなう。

次に、履行力。建前上は瑕疵担保責任の履行をデベロッパーに要求するだけでこの事件は解決するのだが、その履行力がデベロッパーにあると思っている人は誰もいないだろう。これを民間の力だけで解決するだけの体力があるのはおそらく銀行だけだ。

次に、スピード。おそらく建前を全面的に押し出していけば、問題は「いつの日にか」解決するだろう。しかし「その日」が10年後、20年後では当事者の体力が持たない。日本では問題解決のスピードが問題になることは何故か少なく、10年以上かけて原告有利の判決が出て「勝訴」などというバナーを出したりしているが、骨折り損のくたびれ儲けも良いところではないか。「正しいこと」は「正しい時」になされてはじめて正しい。

そして何より、「民間に出来る事は民間にやらせる」という建前を守ること。「利益は民間、損失は政府」では片手落ちもいいところだ。これでは今までと変わらない。「この程度」(というと被害者各位には申し訳ないが)で政府の積極関与を招いては、逆に「利益も政府」、すなわち不動産関連の税率アップも甘受しなければならないことになってしまう。

「一番民の中で力があるものが、問題をまとめて一括処理」するのが望ましいのは、銀行のためでもあるのだ。

時事を考える: 住民の方々やっぱり贅沢なんじゃないの
仮設住宅に押し込められる震災被災者からみればうらやましいくらいです、どう思われますか?

そう。震災のように「人ならざる力」が働いたときのために、政府は「とっておきたい」。今回のように民が起こした問題は、民で解決すべきなのだ。

Dan the Impatient Man