それが問題だ。
レジデント初期研修用資料: 真空の生む大きな力人は集まって組織を作る。その中には頭になる人もいれば、筋肉や皮膚になる人もいる。生物が物を食べるとき、「今食べたものは皮膚にしよう」「これは血管に」などといったことは考えない。組織の中での人の役割分担というものも、誰かが考えたり選挙で決めたりするものではなくて、本来は自然発生的に勝手に決まる。
多細胞生物が組織を作り上げる過程に、アポトーシス(apoptosis)というものがある。不要になった細胞が他の細胞の迷惑にならないようにひっそりと自殺することをそう呼ぶ。ヒトの指は、根元から細胞がそういう形に生えてくるのではなく、まずドラエモンの手のような丸い手が出来、指と指の間の細胞がアポトーシスで抜けてあの形になる。
生物組織において、細胞はまるで利己的に振る舞わない。個体のためなら文句一つ言わず死んで行く。ましてや二日しか寿命のない小腸の表皮細胞が、個体とほぼ同じ、すなわち80年の寿命を持つとされる神経細胞を恨んで死ぬなどということはない。
全社会性(Eusocial)の動物の個体も、こういう振る舞いをする。働きバチと女王バチの関係もさることながら、女王バチどおしでも自己犠牲はふつうだ。たとえばミツバチでは、後に生まれた女王バチは、巣穴から出る前に羽を鳴らす。すでに女王の座についた、先に生まれた姉に刺し殺してもらうためだ。ここにはサル山のボス争いは全くない。
それではヒトはどうか?サルを見るまでもなく、「細胞」として効率的に振る舞うようには出来ていないのは明らかだろう。ヒトの社会性は後付けなのである。自己犠牲はゼロではないが、細胞や全社会性動物と比べると往生際が悪くそしてぎこちない。
にも関わらず、ヒトは社会を作る。ヒトだけではない。群れを成す生物は多種多様だ。なぜだろう。
おそらく、その方が個体にとってのコストが安いからだ。
単細胞生物は、全能的である。「必須アミノ酸」などというふざけたものはない。全部もっと単純な物質から合成できるのだから。これがヒトの細胞ともなると、アミノ酸どころか、アスコルビン酸一つ合成できない。細胞単位で比べると、進化したとされる生物のヘタレぶりに笑いがこみ上げてくる。
本来自立的なシステムが、あえて一回り大きなシステムの一部となることを選択するのは、その方が楽だからだなのではないか?
憶測だが、これは多細胞生物の成立にすら成り立つ仮説だと思う。最初から細胞たちはこれほど自己犠牲的ではなかったはずなのだ。はじめはきわめて利己的に合従連衡していたのだ。それが月日が経つにつれ、細胞は自立性を徐々に失い、自己犠牲を厭わなくなる。
ヒトの社会の進化も過程としてはこの例外ではないだろう。社会が複雑になればなるほど、自己犠牲的な行為が増えてくる。別にカミカゼを持ち出す必要はない。警察官や消防士など、自己犠牲を条件付けされた職業すら存在するではないか。あ、医者もそうであった(笑)。
ところが、今のところヒトはこちら方面への進化にはきわめて消極的だ。共産主義では構成員を「細胞」と呼んでいたようだが、結局我々がそれを受け入れることはなかった。
利己性を捨てるには、ヒトという個体はあまりにシステムとして巨大なのだろう。そしてそれが我々の社会にある種の限界を設定している。いい悪いではない。ヒトはそういう生き物だとするしかない。
人の自然な役割分担を否定した組織というのは、組織が生み出す力そのものを否定してしまう。
しかし人の自然な特性を否定した組織というのは、組織そのものを維持できない。
学校組織。大学。公務員。市民団体。「平等」という、組織にとっては極めて病的な考えかたが支配する集団にとりこまれた人というのは、これが同じヒトかと思うぐらいに効率が悪くなる。
問題は「何の効率を最大化」するかということだ。「組織としての効率」の追求は、いづれもみじめな失敗に終わっている。ヒトはアポトーシスできないからだ。あくまでヒト個体の目指すのは「個体としての効率の追求」であって、社会組織はそれを満たす範囲において存在を許される。ある程度の比率で自己犠牲的な個体が登場し、それによって社会が危機を乗り越えることはあっても、自己犠牲は当然という前提での社会設計は無理なのだ。
結局ヒトは社会を拒絶できるほど「強く」はなく、さりとて社会に魂をゆずり渡すほど「小さく」もない。
社会を設計する際には、以上を念頭に置かなければならないだろう。個人主義の果てに社会が破綻するか、社会主義の果てに個が破綻するか。あるいは今のような動的平衡を保ちつつ両者の間をさまようのか、あるいはヒトに取って代わる種が登場するのか....
同様の設問は、家族から国家に至るまでの社会組織どおしの間にも成立するだろう。いや、国という現在最大の社会組織にも当てはまるだろう。日本は個体か細胞か....
Dan the "Systematic" Man
アポトーシスしたくない個人はのびのびと自分のやりたいことをやっていけばいいですね。
何に属するかはそれぞれの個人が選ぶこと。
公務員の人に働いてもらうには「個人」としての部分に焦点を当てて声掛けをするというmedtoolzさんの文章にも刺激を受けました。