確信犯的に陳腐なタイトルである。ましてやそれが「バカの壁」を出した新潮新書であることを考慮すれば。

「会社は誰のものか」好評発売中 (新潮新書) | Blog | nozomu.net - 吉田望事務所 -
3月ごろからこの出版のお話をいただきました。当初フジテレビ対ライブドアというタイトルを考えたのですが、それですと、あまりに本の寿命が短くなる恐れがあり、編集部と話し合って「会社は誰のものか」というタイトルにいたしました。

しかし、内容は陳腐ではない。「従業員天国」電通にいた筆者が楽園を飛び出し、自ら経営者となり、模索と反省を繰り返した思考過程と結論を、出版当時の状況を下敷きに語った書である。

以前私はblogでこう言ったことがある。その時はあえて答えは書かなかった。

404 Blog Not Found:誰のもの?
実はこれを最も的確に使っているのが、$5札の人の最も有名な演説の結びだ。

Gettysburg Address - Wikipedia, the free encyclopedia
--and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.

なぜ彼は of, by, for と三つも使い分けているのだろうか?

その疑問に対して、吉田氏は本書で渾身の力を込めて答えている。"of"に関してはすでに商法という「公理」に書いてある。「株主のもの」だ。でもなぜ「株主のものであるべきなのだろう」。それは"for"、すなわち「誰のためのもの」かに答えることになる。さすれば"by"、すなわち「会社は誰によってなされるべきものだろう」というガヴァナンスに対する考察もおのずと成されることになる。

別の人の言葉を借りれば、

H-Yamaguchi.net: 企業はだれのものか:整理して考えたほうがいい
(1)会社は誰の所有に属するか
(2)会社の価値は何に帰属しているか
(3)会社の意思決定は誰の意見に従うべきか

ということになる。

その意味で、吉田氏と新潮新書編集部はもう少しタイトルを考えるべきだった。本書のタイトルは「会社は誰のためのものか」であるべきだったのだ。もちろんそこには of, by, for の全てを盛り込まなければならないが、ofは最も陳腐であり、byではタイトルが長過ぎる。最も潜在読者にアピールすのは for ではなかったのか?

実に力のこもった書であり、著者紹介にある「父は吉田満」という紹介がなぜかしっくりする。しかし本書は二つの意味で「戦艦大和的」、すなわち時代遅れでもある。

一つは、「会社」というものにとらわれてしまっていること。吉田氏の「志」をなすための器(veheicle)は、会社でなくともいいのではないか。いや、会社というのはそのための器としてはもしかしたら不適なのではないか。特にSRIとブランドの器として、会社というものが本当に的確であるかはさらなる考察が必要だ。吉田氏は続編を書くべきだ。

もう一つは、「誰のもの」史観だ。これは実に多くの人が囚われている史観であり、「金で買える」「いや変えない」の不毛な議論の両側とも、その史観の囚人であることに変わりはない。これは無理もないことで、これほど「金」というものが自然になった現代においては実は当然の史観でもある。吉田氏は少なくとも「これはなにかおかしい」というところまでは気づいていらっしゃるようであったが、自分を囲んでいる檻の正体を見抜くには至らなかったように思える。

実は私とて、その史観の囚人ではある。ただ少なくとも私にはその檻が何なのか見つけてはいる(もちろん錯覚の可能性だってあるが)。次のEntryでは、その檻の正体と、その先に何があるのかを考察してみようと思う。

Dan the Man (of|by|for) You

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