「立ち位置」の違いかもしれないけど、すんなりと同意しがたい。
Matzにっき(2006-02-15)まあ、同感だ。
少なくとも、誰かさんみたいにTVに毎週でるなどというのはもっての他である(爆苦笑)。
「仕事でオープンソース・ソフトを開発したければ有名人になれ」,Seasar2開発者のひが氏:IT Proところが「(開発者が所属する)企業がオープンソース活動を仕事として認めてくれることは基本的にない」(ひが氏)。オープンソースの世界でどんなに有名になっても,企業は興味ないからだ。
もちろん、名を売る必要が全くない、というわけではない。それどころか「売名行為」はオープンソースの「隠れた」インセンティブとしては最大のものの一つである。一昔前ならとにかく、今では有名プロジェクトの有名どころというのは、履歴書で一番光る項目である。そもそもそれを「光る項目」だと思わない会社だったら、初めからやめといた方がいい。
ただし、一旦職を得たら、少なくとも自分の仕事がその企業にとってどんな結果をもたらすのかを考えながら仕事をした方がいい。NokiaだのIBMだのNTTだのといった、「そういうことを考える別の偉い人」がいるほどの大企業なら別だが、たいていの企業はそこまで大盤振る舞いする余裕はない。O'Reillyクラスでも、Larry Wallをレイオフせざるを得なかった悲しい現実がそこにある。
だいたいLarryやMatzといったクラスになれば、もう有名すぎて特定の会社に操を尽くすことすらコミュニティの反感を買いかねない。そういう確執が起らないというだけでも井上社長の凄さがわかる。GuidoのGoogle行きはどう受け取られたのだろうか。
自分の経歴に照らし合わせてみると、私の場合、オン・ザ・エッヂ時代も現在も、Matzさんやひが氏より遥かに自分の時間をどう処分するのかの自由度は大きい。私に文句を言える上司などいないのだから。なにしろ自分に給与を支払うのは自分である。
それだけに、自分がどこまでオープンソース活動に没頭すべきかということは常に考えざるを得なかった。結果として Ring Server Project へのサーバー資源の提供など、あまり自分の時間を消費しない方法を選択せざるを得なかった。
しかし思いは断ちがたく、きりのいいところで暇をいただき、その後一年あまりを Perl 5.8 の開発に携わった。この間は当然無給である。今では、ある程度の財産を得て、四人家族程度であれば私の労働抜きでも養えるようにはなったが、思いがけず「有名」にもなってしまった。
とても一般論を抽出できるような経歴とは言えないが、それでも一つ言えることは、オープンソースコミュニティにおける「有名」と、「世間」の「有名」ではかなり意味合いが異なるということだ。
オープンソースコミュニティにおける「有名」では、他の「有名人」に一目置かれるというのがその基準になる。不特定多数に対して有名になりたいわけではないのだ。数学の世界のジャーゴンで言えば、エルデシュ数を下げたいのだ。
しかし世間における「有名」は、単純に「何人の人が知っているか」ということだ。それ以上でもそれ以下でもない。下手をすると私の日本における知名度は、日本のオープンソースの大御所たちの知名度を全て足したよりも高いかも知れないが、それは私のオープンソースコミュニティに対する貢献度とはまるで関係がない。
だから、上司にアピールするという点では、「有名度」というのはあまりいい指標ではないと思う。目指すべきは「認知度」である。その上司が知っているコミュニティで名を上げるのだ。手法としてはSEOに似ているかも知れない。「誰でも知っている」人になる必要はない。「知る人ぞ知る」になりさえすれば。
Dan the Open-Source Programmer, Believe it or Not
http://www.artima.com/weblogs/viewpost.jsp?thread=143947
少なくとも、僕はGuidoがGoogleで働くことを好意的にうけとめています。