メディアを褒めたその舌の根もかわかないうちにこれを書くのも恐縮だが、いい機会なので。

踊る新聞屋-。: すべての記事は主観から生まれる
danさんが抗議する記事は恐らく「ライブドアのマイナス面を取り上げよう」という主観、目的から出発した。
 そこで、「会社の体を成していなかった。堀江カンパニーだった」なんて証言が聞け、取材記者がメモにすれば、アンカーとしてこれほど美味しい言葉はない。
 取材意図に関して事前説明があったのかどうかは不明だが、インタビューが曲解される恐れがあるのなら、拒否するのもありだろう。

この「主観の存在に留意する」というのは、取材者心得のイロハのイだと私は信じているのだが、どうもそれは「常識」とまでは言えないようだ。私が一番失望、いや唾棄する類いの記事というのは、自らの客観性と公共性に疑いすら抱いていないという例ばかりだ。

量子力学では、観測という行為そのものが観測対象に影響を及ぼすことに着目し、その結果が不確定性原理として結実したが、取材という行為はそれに似ている。取材を通して取材対象も影響を被らずには済まないのだ。

人間社会においては、観察者もまた観察対象でもある。ジャングルの奥地の探検隊は、調査対象の未開の部族からもまた観察されている。私が比較的取材に積極的に応じるようになったのは、blogというツールにより、「未開部族側から見た調査報告」を上げられるようになったということもある。だから私を取材したい者は、自らもまた取材される側なのだという自覚を持って欲しい。

以上を踏まえた上で、以下にNHKの記者とのやりとりの一部を公開させていただく。NHKという名前を出したのは「某公共放送」では「某」による匿名化効果がゼロであるからである。取材者がNHKであるというのは以下のやりとりを読み解く上で欠かせないので実名で「報道」させていただく。記者名まで公開しないのは、武士の情けだと思ってほしい。

同記者からは、まず電子メールにて取材依頼が来た。そして二度の面談の後、一度は取材許可を出した。私は基本的に編集の入る番組はお断りしてきたのだが、NHK、それもプライムタイムに放映されるであろう番組ということも勘案して一度は承諾もした。

しかし、その影響力を考えれば、期待よりも不安が大きい。また、取材が3-4時間に及ぶとのことから(過去の経験と照らし合わせて、こういう場合は半日仕事)、取材に関する便宜(必要経費および取材協力費含む)に関する問い合わせと、一度は許可した自宅における取材を別の場所にしてもらえないかという依頼を出した。

それに対する返事が以下である。

また、取材に対しての報酬は、申し訳ございませんが、ご容赦ください。
公共放送だから無報酬というわけではありません。
今回の「NHKスペシャル」は報道番組であり、
金銭を対価に撮影させていただいたり、
インタビューさせていただくことは、できないのです。
たとえ堀江さんに拘置所内でインタビューができるとしても、
金銭を払うことが条件ならば、お断りします。

私は、この報道番組だから報酬、というより取材協力費が出ないということが全く理解できない。前述の通り、100%客観的な報道がありえない以上、取材対象が円滑に取材を受けられるようある程度便宜を計ることはむしろ報道の内容の充実にとってプラスになるはずだ。

実際私の過去受けた取材の過半で取材協力費に相当する費用が支払われているし、しかしそれにより私が取材者に媚びを売ったということはないのである。率直に申し上げて、取材協力費程度で媚びを売る気になるほど私は「安くない」。

あなたが手術前の患者だったとする。「診断の邪魔になるので麻酔は一切使いません」と言われたらあなたは手術を承諾するだろうか?私の言う「報酬」とは、この麻酔に相当する。全身麻酔が必要な場合もあるだろうし、鎮静剤程度でよい場合もあるだろう。この場合「正確な診断」と「患者の福祉」とどちらが大切なのか。

また、報道というのは取材対象がいてはじめて成り立つのに、報酬を受け取るのは取材する側だけというのはずいぶんと都合のいいお話ではないか。

もちろん、世の中では無償でも取材に応じた方がよい場合だってある。それによって自分が利益を受ける場合はそうだろう。「社長インタビュー」とかはそれに該当する。しかし、通常取材においては取材対象にとっての利益はマイナスである。取材そのものが負担であるし、ましてや記事のリスクは記者ではなく取材対象に降り掛かってくるのだ。取材協力費というのは、報酬というよりはこのことに対する補償ではないのか。

と、ここまでは、他の取材でも経験している。しかしここまで言って来たのはNHKが始めてである。

ですから、どうかお願いです。取材にあたって、条件や制約をつけないで下さい。
どうか私たちに、小飼さんを取材させてください。
私たちは、さまざまな制約のもとでの取材、放送というものは極力、避けたいのです。
これ以上、ほかにも条件がございますようでしたら、
たいへん残念ながら、取材を辞退させていただくしかありません。

取材対象には条件や制約を課すだけ課しておいて、自分たちは条件や制約を付けるなとは、一体取材者とは何様なのだろうか。

誤解しないでいただきたいのですが、
寝室の作業場所を撮影しないことなど、すでにあなたの条件に応じていることもあります。

なんと、これが「条件に応じている」ことなのだそうである。「無条件、無制約」を本当にこちらが承諾したのだとしたら、私のPowerBookの中身まであらいざらいされても文句が言えないのだろうか?

これらに対して異議を申し立てたら、以下のように返事が来た。

また、申し訳ございませんが、私がコンピューターやネットについて素人なように、
あなたはテレビの取材、制作については素人です。
軽々しく、私たちの現場や仕事について指摘することはおやめください。

確かに私は制作に関しては素人である。しかしTVの「被写体」としての経験であれば、この記者殿の比ではない。この記者殿は地下鉄で見知らぬ人から写メされたことがあるのだろうか。はじめて行った出張先で珍獣扱いされたことがあるのだろうか。

報道とは、実は罪深い行為だと私は思っている。取材対象や取材者の意図とは裏腹に、報道されることで世の中は確かに「変わる」。報道にはそういった「原罪」がある。それを自覚していない者に、報道という凶器を与えるのは危険すぎるのではないだろうか。

私は、NHKの記者殿の「疑わない姿勢」に恐怖する。それがこの記者固有のものなのか、NHKという組織に由来するものなのかを私は知らないが、これだけ怖い思いをしたのは始めてである。

アメリカに「敵である」と宣言された国々の人々の気持ちが、少しだけわかったような気がする。

Dan the Declined Interviewee Thereof
[ 小飼 弾(元・株式会社オン・ザ・エッヂ 取締役最高技術責任者) ]

業務連絡:「踊る新聞屋」さん、あなたの取材には無報酬でお受けします。すでにblogを読ませていただくという形で報酬が前払いされているので。