それはむしろ47thさんがプロとして「健全」な感覚の持主であることの証拠だと思います。
ふぉーりん・あとにーの憂鬱: 「法」への幻想 (intro)法律家のくせに、「法」の意義を否定するかのような発言かと思うのかも知れませんが、法律家だからこそ、いつも「法」の限界が気になってしょうがないわけです。
法に限らず、どんな課題でも、ディテールを知れば知るほどその限界も見え、その結果安請け合いはしにくくなります。知れば知るほど無知を思い知らされ、力を出せば出すほど無力を思い知らされ、そして経験を積めば積むほど臆病になる。
そうして「逃げ」たくなった時、やるかやらないかが「プロ」と「評論家」の違いなのだと思います。どちらも知識は大いにあるので、「それが出来ない」理由ならいくらでも思いつきます。「空気より比重が大きな機械は空を飛べない」と言ったのは当時の物理学者でした。電話の発明を「取るに足りない」と言ったのは電報会社の役員でした。そして優生学をもって人種差別を「科学的」に支持したのは生理学者でした。
ここからは英語に切り替えます。どうしてもうまいこと日本語にならなかったので。
If you are an idiot, do it and screw it.
If you are a coward, run.
If you are a critic, give them a million reasons you can't.
If you are a genius, just do it.
If you a professional, dare do it.
Dan the Man Who Dare Say too Often, Dare Do too Rarely
仰るとおりで、solutionを持たない評論家は、プロフェッショナルの名には値しないと私自身も常々思っています。
その上で、私はまた、「法」の世界において限界を知るべきでありながら(あるいは知りながら)、あえてその限界を無視して、誰も法を執行できない狭間をつくり出すことに加担する者がいるかと思えば、法の執行というそれ自体権力の行使の影に生じる無辜の被害者を顧みなかった法の担い手があることを知るだけに、こうとも思います。
If you are a professional, dare not to do, if necessary.