彼が単なる動物好きの好々爺だと思っている人は、是非本書を手に取ってみてもらいたい。

この人、真のdilettanteと呼ぶに相応しい、日本はおろか今や世界でも希有な人である。

失礼ながら、私もまたTVを通した色眼鏡で彼を見ていた。エグい言葉で言えば、「動物成金」、だと。

しかし、実はこの人は東京大学・理学生物学科できちんと生物学者としての教育を受けた人でもある。「動物王国」も、実は動物好きが嵩じてというよりは、動物に対するあくなき探究心の結果たどりついたことがおぼろげに見えてくる。

この本の中には、アポトーシスだのミエリンだのといった、今をときめくmicrobiologyの言葉が実にふんだんに登場する。それが「動物王国的」なmacrobiologyと実に自然にとけあっている。彼は探究心の赴くままに本を読み、探究心の赴くままに人に会い、そして探究心の赴くままに動物たちと向き合う。食われてしまった指でさえ、この人にかかると幻痛の研究対象だ。

もちろん、彼が探究心を開放できる背景には、動物王国の成功がある。探究心を放し飼いにするには、少なからぬ先立つモノが必要だ。それがどれだけ必要かは探究心の方向によってまちまちだ。紙と鉛筆さえあればいつでも(神|真理)と取り組める者もいれば、数兆円の粒子加速器がないと足踏みしてしまうものもいる。「大動物」((c)動物のお医者さん)を対象とするのは、個人単位でまかなえるぎりぎりの線だろう。しかたがないからほとんどの人は「サラリーマン学者」となる道を現在では歩んでる。

しかし、科学者の本来の姿は、実はこういうところにある。科学は実に素敵な道楽なのだ。19世紀までの科学者の多くが貴族だったのにはわけがある。ニュートンは実はこの意味においてもかなりの例外で、「最後の錬金術師」になる前に「最初のサラリーマン学者」でもあった。彼の「学会」へのこだわりは、、そのあたりも反映されているのかも知れない。

閑話休題。彼の脳に関する論説は、養老孟司のそれよりさらにエキサイティングだ。いやでも「生き物」を対象にしている人と「死に物」を対象にしていた人の差が出る。バカの壁に頭をたたきつけ疲れた人には、本書は最高の処方箋になるかも知れない。

ただし、本書は何らかの結論や教訓を期待して読むものでもない。あくまで彼の探求につきあうという感じでページを繰るのが快い読み方だ。結論や教訓がない分、本書はバカの壁的売れ方はしないのかも知れない。しかし、探究心というのは、結論や教訓を得るためにあるのではないのだ。

探究心というもののありようがそうであるように、本書も実にとりとめがない。脳の話をしているかと思えば馬の出産の話になるし、話がいきなり10年以上飛んだりもする。論文やプレゼンとしてはこれは失格だが、それでいいのだ。バカボンのパパもそう言っている。

実に楽しい本である。武器としての頭の良さ的な話でおなかいっぱいの人には実によい「腹下し」である。

Dan the Dilettante-Wannabe

追伸:

no-nameさんのコメント
ムツゴロウ氏に関して、ネット上で読める資料としては、おそらく以下のものが白眉でありましょう。
ムツゴロウ・ロングインタヴュー
http://homepage1.nifty.com/SiteK4/m1.htm
(インタヴュアー・吉田豪)
長いです。全部で42Pあります。しかしすごいです。ムツゴロウ氏の怪物性を余すところ無く描いた、恐るべきインタヴューです。

確かに恐るべきです。