[2006.04.12掲載; 2006.04.16追補; 2006.04.20発売開始]

むしろGoogle論の本命は、本書だろう。「ウェブ進化論」の読者は、本書も必ず目を通しておくべきだ。


グーグル Google

既存のビジネスを破壊する
佐々木俊尚

ちなみに上記リンク、発売予定日にぎりぎり間に合ったようだ。本entry初掲載時点[2006.04.12]ではまだ有効ではなかった。16日に有効となり、予約受付が始まったと思ったら、2006.04.19現在、予約前に品切れとなったと思いきや、現在24時間以内発送中となっている。表紙画像もやっとアップロードされたようだ。まだお持ちでない方は満を持して←をクリック!

ちなみに文春新書のページではオンライン注文が可能のようであるが、出来ればこちらから(笑い)。

本Entryは、その点を含めて著者からの許諾を取った上で書いていることをはじめにお断りしておく。

「ウェブ進化論」が、「『あちら側』から『こちら側』へのメッセージ」であるならば、本書は「『あちら側』にも『こちら側』にも属さない一ジャーナリストによる、『あちら側』がもたらす『こちら側』の変革レポート」となっている。どちらが共感しやすいかといえば「ウェブ進化論」だが、どちらがレポートして信用に足りるかといえば、本書である。

本書は「ウェブ進化論」が明らかにしない、というより梅田氏が「ウェブ進化論」では割愛したGoogleの側面を過不足なく伝えている。「なぜGoogleはGoogle NewsやGmailといった、儲けが全くでないサービスを提供しつづけるのか?」「それでGoogleはどこで儲けを出しているのか?」「ロングテールって一般人な自分にはどう関係あるのか?」「Googleが陰はもたらさなかったのか?」「そしてGoogleは何になろうとしているのか?」....「ウェブ進化論」があえて避けて来た質問に本書はきちんと答えてくれる。

本書は2006年の今年に入ってから佐々木氏が一気書きしたとのことだが、しかし章立てを見ると、とてもそうとは思えぬぐらい整理されている。まるであたかもGooglebotが生成したかのように。

  1. すべてを破壊していく
  2. すべてを凌駕していく
  3. すべてを再生していく
  4. すべてを発信していく
  5. すべてを選別していく
  6. すべてを支配していく

各章のトビラにも、面白いしかけがしてある。是非自分で手に取って確認していただきたい。

著者の佐々木俊尚氏は、むしろWeb 1.0時代からWebとつきあいのある人には梅田氏よりも有名かもしれない、HotWiredの寄稿者でもある。本書のテーマを執筆するジャーナリストとしては、日本でももっともふさわしい人の一人だろう。その力量に、「一日も早く出版せねば」という「殺速感」と「対象が対象だけにディテールに手を抜けない」という「複速感」のせめぎあいが加わったとき、本書は必然的に傑作となった。書くべき人が、書くべきことを、書くべき時に書いたのが本書である。

もう一つ、「ウェブ進化論」との比較で面白いのは、著者だけではなく出版社である。「ウェブ進化論」はすでにアカデミックなちくま新書を代表する一冊になっているのに対し、ジャーナリスティックな文春新書は明らかに本書を今年の代表としようとしている。両者ともその対象がGoogleだという点で一致しているのは偶然ではあるまい。

ただし、こうしたWebを題材とした新書を書くにあたって、どちらも編集に難がある。一番大きいのは、URIの掲載法だ。「ウェブ進化論」では各章の終わりにならべて書いていて、本書では巻末に「参考文献および関連URL一覧」として掲載しているが、これは使いづらい。これらは脚注として記載するのが正しい。新書の幅というのは、脚注サイズでほとんどのURIがきれいに収まる幅でもある。まだどちらも「新書は読むべきもの」という、Web0.0の感覚から出ていない。「眺める新書」という作り方をこれからの新書は目指すべきだ。この点に関しては新興の新書出版社の方に一日の長があるように見受けられる。彼らとてそれでもWeb 1.0どまりなのだが。

これが販売戦略ともなると、さらに文春新書編集部はいただけない。冒頭に述べた、本書の奥付の第一刷発行日は2006年4月20日。通常その1ヶ月前には販売準備完了となっているのが通例なのに、4月12日現在でもAmazonをはじめとするオンライン書店にいまだに掲載がないというのは、昨今ではかなり痛いポカである。対して「ウェブ進化論」は梅田氏のblogでも販売前からかなり宣伝しており、順調なスタートダッシュを切る事ができた。本書はその遅れを挽回できるだろうか?人ごとながら少し心配である。

それにしても、「ウェブ進化論」と本書を見ると、もう一冊足りないことも見えてくる。「あちら側からのアドヴォカシー」「どちら側にも属さぬ批判」はこれで揃ったが、「具体的にGoogle、とまでは言わぬまでもWeb2.0的サービスはどう作るのか」という工学的な一冊である。それがないと、Googleは未だに「魔法」の域を出ないのだ。梅田氏も佐々木氏もGoogleは決して魔法でないことを知っているが、しかし「どう作ればいいか」まではご存知ないだろう。これも出来れば新書で欲しいところであるが、これに対しては適切な器(vehicle)がまだ存在しない。技評に期待していたのは実はそれだったりしたのだが。

というわけで、まだまだGoogleという司祭の裾の下にはドジョウが何匹もいそうである。あなたもこのドジョウすくいに参加してみますか?

Dan the Reviewer

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