次は批判精神に対する批判、かな。

jkondoの日記 - はてなに入った技術者の皆さんへ
批判精神
人と違うこと、ユニークであることをはてなでは重視します。それぞれの技術者が独自で多様な視点を持ち、闊達な議論を行う中から新しい可能性が生まれると信じています。

批判精神で実は最も重要なのは、批判することではなく、自分に対して向けられた批判を受け止めることです。他を批判しつつ自に向けられた批判を抑圧したり黙殺したりするのことは、科学ではなく宗教の範疇となります。

自分に対して向けられた批判をきちんと受け止められる人は、はてなにおける職の数よりもさらに少ないと思われます。自らの心に沸き上がった疑念の心を抑え、口をつぐむのは自然なことです。王様が裸であることを指摘することは、子供には許されても大人には許されないのです。自分が感じたり考えた正直な気持ちを発言しないことで、あなたはもしかして未来の大きな可能性を失ったのかもしれません。しかし、それで救われた人々は確かに存在するのです。誰よりも、正直な人々がその恩恵を一番受けているのです。皆が正直に自分の心のゆくまま語り始めたら、それに対して耳を傾ける暇が、誰に残ると言うのでしょう。

だから、恥ずかしがり屋であること、引っ込み思案であることに罪悪感を感じないで下さい。発言というのは、何かを成す行為です。それは善だったり悪だったりします。あなたが口をつぐむことで、なされぬ善もあるかも知れませんが、それは少なくとも悪ではないのです。

人の耳は以外と轟音には強いそうです。さもなければ飛行機の中で眠れるわけがありませんもの。それと同じで、饒舌の泣き所は、人々がそれに慣れてしまう事です。最初は振り向いてくれても、慣れてくると「またあいつが変な事言ってるよ」(Here s/he goes again)となるわけです。君子豹変す、という言葉があります。いい人が急に悪い人になることではなくて、知恵者は態度を改める時には躊躇しない、という意味です。自分がいい損ねた言葉、伝え損ねた気持ちを貯めておきましょう。後でそれを一気に開放した方が、その場でいうより効果的かも知れませんよ。

その一方、こうした「正直な科学者」たちに対して陰口を叩くのはひかえておきましょう。自分がよりみじめになるだけです。敵の敵は味方とも言いますが、他人の不幸は自分の幸福ではありません。蜜の味がするですって?それは蜜ではなく毒です。その毒を気づかずに飲んで命取りになった人たちがどれほどいることか。

え、もう命なんていい?捨てる前に次のEntryをお待ち下さい。

Dan the Selfish Scientist