「自分逝ってよし」と思っている方、お待たせしました。

jkondoの日記 - はてなに入った技術者の皆さんへ
当たり前ですが、どんな世界も自分が何かを始める前は自分が居ない状態で回っています。しかも、そこそこちゃんと回っているのです。何か新しい事を始める時、「その世界はあなた無しでもちゃんと回っている」状態から出発する事を忘れないでください。極端な話、「自分が生まれなくても地球は問題なく回っていた」のです。

ここまで読んで、それに続く言葉が「新しい領域に挑戦すると言う事は、自分が不必要な状態から、自分が必要とされる状態への変化を、自分の力で起こすという事なのです。」だと想起できましたか?むしろあなたは 「そもそも自分なしで回っていたのに、自分がいなきゃ回らないようにするのって傲慢なのです」ということを想起したのではないですか?

そうなのかも知れません。自分なしで回っていた世界に割り込むだけの図々しさをもたないあなたは、「じゃあやっぱ逝ってよしだな、自分」と結論しちゃうのかも知れません。それがたった一つの冴えたやり方、なのだと。

でもちょっと考えてみてください。地球はすでにあなたがいてもまわっていたのですよ。あなたがこの世に登場したことで回転がおかしくなったわけじゃないのです。自分がいようがいまいがこの世が大して変わらないなら、世に対してそんなに負い目を感じる必要はないのです。あなたの一人や二人おいとける場所がなくて、何の世の中ですか、何の国ですか、何の街ですか、何の家族ですか。いや、さすがに家族になると一人の有無は重いかも知れませんが。

大体、わざわざあなたが手を下さなくても、ちゃんとあなたは逝けるのです。例外はありません。税金より公平なのです。人類が税金を発明するまえに、生命は死を発明しておいてくれたんですから。

'You've got to find what you love,' Jobs says
No one wants to die. Even people who want to go to heaven don't want to die to get there. And yet death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because Death is very likely the single best invention of Life. It is Life's change agent. It clears out the old to make way for the new. Right now the new is you, but someday not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it is quite true.

あの有名な"Stay Hungry, Stay Foolish"の演説ですが、私にはこの部分が一番印象的でした。ここに有名な訳がありますが、あえてここだけ訳し直してみます。いや、id:noon75さんが、さらにいい訳を提供してくださったのでそちらに差し替えてみました*0

セックスなんてくそくらえ - ネットでめぐり合った良いエントリに応えるために

 死を望む人はいません。
 天国に行くことを望む人々も、その方法が死であることを嫌がります。しかし、私たち皆の終着点が死というもので、そこから逃れられる人はいません。また、そうであるべきです。それは死というものが、生命が発明した唯一そして最善の発明だからです。死は生を変化させる要素であり、新しくやってくるもののために、古きものが道を開けてあげることなのです。
 いま、ここに集まった皆さんは、新しくやってきたものたちです。しかし、そう遠くない未来には、あなたたちもゆっくりと年をとって、やがては道をどかなければいけません。
 芝居がかった言い回しで申し訳ありませんが、これは本当のことなのです。

「自分は天国に行きたいんじゃない。もうここにいるのはうんざりだ」、と思っているあなた、でも、切符をすでにあなたは手にしているじゃないですか。しかも便を指定された格安ティケットじゃなくて、フルオープンの正規ティケットですよ。すでに切符があるのにそれを使わないでわざわざ買い求めるのは文字通りもったいなくはありませんか?

jkondoの日記 - はてなに入った技術者の皆さんへ
しかし、はてなに入ったということは、何かこの中に自分がやるべき仕事、自分が輝ける領域が用意されていると感じて入ってきたはずです。一度はそう思ったのなら、全力でまずそれを探してみてください。人や会社との重要な出会いなど、人生の中でそうたくさんあるわけではありません。

自分は親に産んでって頼んだ覚えもないのに生まれて、行きたくもない学校に生かされていじめられて、それに耐えて大学どころか大学院までちゃんと出たのに定職もなく、金もないので仕方なく家にいて、親もうざったそうな目で自分のことを見ているというあなたに、上の一文はまぶしすぎるかも知れません。

でも、あなたは全力で探してみましたか?

「どうせ自分なんて」と、脳内で完結していませんか?

だまされたと思って手足を動かしてみて下さい。全力で。全力で、全力で。息が切れてきましたか?

息が戻って来たら、思い出してみて下さい。

ハアハアしている時に、「どうせ自分なんて」という気持ちは湧きましたか?

全力を出す、というのは、そういうことなのです。「どうせ自分なんて」という考えが沸き上がる暇と酸素を脳に与えない事なのです。「自分」という言葉が脳裡に浮かんだら、あなたはまだ全力を出していないのです。

「どうせ自分なんて」と考えているときの自分は、実は自分ではなく、他人の立ち振る舞いから自分が多分他人からはこう見えているということを憶測しているに過ぎないのです。どうせ自分なんて、というのはとっても利己主義的に見えて、実はその意味で脳内の自分という他人の人生をなぞっているに過ぎないのです。

あわてて死に飛び乗る前に、死にものぐるいで何かをやってみてからでもいいのではないのでしょうか。

Dan the Accidental Tourist


  1. 差し替え前の拙訳は以下のとおり。

    死にたい人などいません。天国に行きたい人ですら、そのためにわざわざ死んだりしません。ですが、我々全員が行き着く先がそこなのです。だれもその終着点から逃れた人はいませんし、それでよいのです。なぜなら、死というのはひょっとして生命最大の発明だから。死は生の積み替え要員なのです。古い者をどけ、新しい者に道を開ける。ただ今の時点で新しい者はあなたたちですが、そう遠からぬ先あなたたこそが古い者となり、どかされる対象となるのです。びっくりさせてごめんなさい。でも本当にそうなんですから。

    [追記2006.10.28:少し人間史観が強いと思ったのでさらに訂正]