これも含めてあと2回続く予定です。

jkondoの日記 - はてなに入った技術者の皆さんへ
自分が誰に評価をされたいと思っているかを考えるための良いヒントは、「これまでの経験の中で一番嬉しかった瞬間」を思い出す事です。新しいサービスを考えてリリースした後に、たくさんのユーザーが大騒ぎしてくれている時が最も幸せだと感じたならば、さらにユーザーに向けて良いものを届ける仕事をすべきでしょう。憧れの開発者に「Cool!」と言ってもらえた時が最高に嬉しかったのならば、もっとそう言ってもらえるような仕事をすべきでしょう。

評価を得たかったら、評価することです。評価というのは、黙っていてもしてくれるものでは実はないのです。

別にポジティブなものでなくてもいいのです。こんなところが気に食わない。こんなところがいやだ、というものも立派な評価です。それを批判ではなく誹謗と受け取る人は、そもそも自分を評価するに値しないぐらい思ってもいいのです。

ただし、容姿だとか出自だとか、本人が成したこととは無関係に本人に与えられたものに対する異議申し立ては禁物。それは本人の責任ではないのですから。

まあ上記は当然のことですが、一つ重要な点があります。特にポジティブでない評価をした場合は、反論を覚悟してください。異議申し立ては言いっぱなしが利かないのです。その勇気がない場合は、口をつぐむかほめるかどちらかに徹した方がいいでしょう。それであなたを評価して欲しい人に振り向いてもらえるかどうかはわかりませんが、あなたが評価して欲しい人から厳しい言葉をもらうという痛い思いは少なくともそれで避けられます。

そして、その異議申し立ての応酬を、納得が行くまで続けて下さい。

そうすれば、あなたが評価して欲しい人は、必ずあなたのことを覚えてくれます。

「でも、そうやって覚えてもらってもその人は自分に好印象を抱くだろうか」と思ったあなた、いいポイントです。

こう開き直ってしまいましょう。それであなたの印象を固定化させてしまう人は、あなたを評価するに足りないと。あなたのあこがれのあの人が、本当にあなたがあこがれるのに相応しいか試してしまうのです。

そして、覚えてもらったことを確認してから、褒めるのです。

これは、利きます。

最初から褒めるよりもずっと。

そしてもう一つ。「はてなに入りたくても入れないあなたへ#0」では、職業として、義務として、人を見る人の立場についても論議しました。覚えてますか?

そうなのです。人は誰に評価して欲しいかを選べない時だってあるのです。いや、その方がずっと多い。親を選んで生まれてくる子供はいません。国を選んで生まれてくる人もいません。

それだけに、評価する人の評価力が問われるのです。

自分より他人の方が数が多い以上、評価される機会の方が評価する機会よりも多いのが自然です。つきあう人が多いほどその傾向が高まりますが、そうでない人も「自分を評価する他人」の方が「他人を評価する自分」よりも必ず多くなります。それゆえ、われわれは「自分はどう評価されているのか」を、「自分はどう評価するのか」よりを気にしがちです。

しかし、人が見るあなたは、「評価されたいあなた」ではなく「評価しているあなた」なのです。評価することを英語でevaluateといいます。プログラムの世界では略してevalと言いますが、これは実は「実行」に相当します。評価することは行動なのです。evalものだけがいばれるのです。

評価するというのは、実は言論そのものなのです。評価が欲しかったら、評価するしかないのです。

Dan the Evaluat(or|ed)