以下のentryにinspire、いや"dispire"されたので。
1000枚のコピー用紙君たちすべての人が、可能性という1000枚のコピー用紙を持って生まれてきた。
君たちすべてが、1000枚の福沢諭吉という借金を背負わされて生まれてきた。
君たちすべてが、だ。仮定じゃない。本当の話だ。
「うちの村にもとなりの村と同じ公民館を」といって隣村の人たちが一枚持っていった。
「うちの県にもとなりの県と同じ空港を」といって、隣の県の人たちが十枚持っていった。
チョットだけ目を閉じてごらん。
君たちにとっては、たった一枚の福沢諭吉だって大金だ。
たとえ100円だって、それが親でも君の財布から勝手に取り上げたら君は怒るだろう。
一万円持ってかれたら、君は家出をするかも知れない。
100万円も黙って持ってかれたら、君は親と縁と切るかもしれない。
君たちの国が君たちの財布から断りもなく持っていったのは、その10倍だ。
なんでそんなことになってしまったのか?
1000枚のコピー用紙だって、なくなれば気づく。なんで誰も気づかなかったのか。気づかないそぶりをしていたのか。
それを持っていった人たちは、誰もそれが君の福沢諭吉だって思ってなかったんだ。
コピー用紙とすら思ってなかったんだ。
ただの数字だと思ってたんだ。
この1000枚の福沢諭吉は、目には見えない。まだ生まれていない子供の顔を想像できないように。
だから、自分の懐から一枚でも抜かれればそれを許せないはずの大人も、それを許してきた。
自分の村のために一枚。自分の老後のために一枚。
そうやってたまっていったのが、目に見えない1000枚の福沢諭吉。
君たちが生まれたときから背負わされてきた1000万円の借金は、大人達の想像力の欠如から生まれたものだ。
なぜ、勉強をしないといけないのか?
なぜ、挨拶しないといけないのか?
なぜ、うそをついてはいけないのか?
なぜ、仲間はずれをしてはいけないのか?
それは、君たちが、君たちに借金を背負わせた親達と同じ事を繰り返さないためだ。
なぜ、勉強をしないといけないのか?そうしないと、この1000枚の福沢諭吉が見えないからだ。君たちの親には、見えてなかった。見えていたとしても無視した。
なぜ、挨拶しないといけないのか?そうしないと、勝手に君の財布から福沢諭吉を抜く奴らが後をたたないからだ。少なくとも挨拶しない奴には財布を見せないようにすれば、少しは防げるかも知れない。
なぜ、うそをついてはいけないのか?それは君の親達と同じところに君たちが堕ちることと同じだからだ。君の祖父母が嘘をつく。君の親達が嘘をつく。君たちは君たちの子供たちに嘘をついて、この1000枚の見えない福沢諭吉を押し付ける側に回るのか?
なぜ、仲間はずれをしてはいけないのか?君たちに仲間割れしている余裕はないからだ。君たちにこの1000枚の福沢諭吉を押し付けた大人達は、君たちより数でも多いのだ。彼らは今でも君たちからならいくらでも福沢諭吉を引っ張りだせると思い込んでいる。誰かが彼らに言わなきゃ行けない。「もうたくさんだ」、と。仲間割れしている余裕はないんだ。
いつも心に1000枚の、君のものだったはずの福沢諭吉を。
Dan the Taxpayer
追記:↑の本が出てからもう9年になるが、この頃はまだ500枚ぐらいだった。いかに急激に福沢諭吉が増えたかに関しては、こちらやこちらも参照のこと。また、石弘光の著作は以前こちらでも紹介した。
父の債権と母の債務の両方を引き継ぐ子供の負担が増えると思いますか?
たとえ貸した額が一億だろうが千兆だろうが増えるはずがありません。
むしろ形式上の借金を減らすために家や車や家電も買わず、十分な医療教育を受けさせない方がよほど問題のある親ではないでしょうか?
日本の国債は9割以上が国内から借りていますから、いくら額が大きかろうが国内の配分の問題でしかありません。
海外から借りているのも自国通貨(円)で借りていますし、経常黒字の続く対外純債権国なので、日銀券が紙くずになろうが外国への支払いに困ることはありえません。
そして日本は政府の資産が他の先進国よりかなり多いので、政府債務から政府資産を引いた純債務をGDP比で見れば80%程度で、他の先進国(米英独仏40〜60%、イタリア90%)と比較してそれほど多くもないわけです。