その組み合わせにのけぞってしまった。
長尾のブログ2.0: 教育者の品格僕の好きなSF小説「銀河英雄伝説(通称、銀英伝)」(田中芳樹著 徳間書店 1982)の中の台詞に次のようなものがある。
ヤンに「国家の品格」を読ませたら、「著者はオリベイラ氏かい、ユリアン?」と言うんじゃないか。
僕は、日本の礎を築いた先人たちに感謝し、日本の品格を貶めたアメリカや日本の売国奴たちを憎んでいる。
この台詞こそ、ヤンが唾棄してやまない「国家ひとからげ」なのではないか。ヤンも同盟市民なら、トリューニヒトも同盟市民。ラインハルトも皇帝なら、ルドルフも皇帝。国家と個人を取り違えるほど、国家の品格を貶める行為はないのではないか。
日本にはMcCarthyもGeorge W.もいないかも知れないが、Martin Luther KingもErin Brokovichもいないではないか。少なくとも、1980年後半から90年前半に身の置き場所がなかった私が安心していられたのが合州国だった。厳密にはBerkeleyというところで、「合州国にあらず」などという人もいたが。
ただ、今の合州国に同盟末期を感じる人も結構いるかも知れない。私も含めて。
どうやら日本でも、愛国心なる言葉を教科書に盛り込むそうだ。起草者は当然『愛国連隊』に加入し、いざとなったら真っ先に敵に突進してくれるのだろうか。
一つだけ確かな事がある。
英雄を必要とする国や組織に品格はない、ということ。
銀英伝は、それをいやというほど教えてくれる。
伝説が終わり、歴史が始まるのはいつのことになるのだろう。
もっとも始まりもしない歴史が終わったとFukuyamaは言っていたが。
第二巻より。もうすぐ戦いが始まる。ろくでもない戦いだが、それだけに勝たなくては意味がない。勝つための計算はしてあるから、無理をせず、気楽にやってくれ。かかっているものは、たかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べればたいした価値のあるものじゃない
存亡ですらこうである。ましてやたかが品格である。個人の自由と権利に比べればたいした価値のあるものじゃないことぐらい、ヤンに言われるまでもないことじゃないか。
銀英伝が20年以上前のおとぎ話というのであれば、こういう言葉を今blogで読む事ができるのは救いでもある。
激高老人のぶろぐ: 愛国者が威張った時代お国のためにからだを鍛えた若者がいたとすれば、彼はその立派な体格のゆえに若死にしたのだ。一方「お国のために死ね」と煽った人たちのほとんどは無事に生き残った。彼らは結構「自分のために生き」ていたからである。
「愛国病」というのは、どうやら国というものが存在する限りなくならない病気のようだ。だから根気よく治療を続けるしかない。愛国病を侮ってはいけない。それで死んでいくものは未だに後をたたないのだから。 銀英伝は一家に一揃え常備しておく価値のある薬なのだけど、こういう症状の現れ方を見ると、やはり特効薬というのは存在しないのだなあということを改めて実感する。
Dan the Man that happens to be a Japanese Citizen
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