これ、かなり前に注文したのが本日到着。おかげで書評も遅れてしまった。

ひとまずお休みだお( ^ω^) - 「モテ」や「萌え」は希望の源なんです!
それはともかく、猫猫先生に八方美人だと嫉妬されていた斎藤環氏が、酒井順子女史に繰り出すサービス心満載の台詞が素敵すぎます。

斉藤環に関しては404 Blog Not Found:「負けた」教徒達へのまなざしで、酒井順子に関しては404 Blog Not Found:犬に失礼にもほどがあるでそれぞれ書評したことがあるのでご覧いただくとして、これほど想定内の対談というのも珍しい。

この本のエッセンスは、酒井の最後の一言に凝縮されていると思う。

斎藤:
性愛ゆえに人は頑張り、性愛ゆえにバカになる。ここに希望もあるんじゃないか。だから「おたく」から「腐女子」まで、「ヤンキー」から「負け犬」まで、さまざまな愛の形を、いったんすべて肯定しておく必要がある。その上で、あえて「バカになることを恐れるな」ということを、僕なりの結論にしておきたいと思います。
酒井:
なるほど、観察ばかりしていてバカになりきれなかったところに敗因があったのか.......!

女のためにならどこまでもバカになろうとする斎藤と、「バカになったら負けだと思っていて」いる酒井。今回という今回は、斎藤は酒井を甘やかさせ過ぎたのではないか。厳しく接しても壊れない相手であれば、むしろそうした方が相手の成長を促し、強いては相手を尊重することになるのではないか。

酒井は、女であると同時に論者でもある。「女」としては彼女自身にも「負け犬」に分類するのも問題はなかろうが、彼女は同時に「負け犬」を観察することで「負け犬の遠吠え」を34万部も売った(のだそうだ。斎藤談)。彼女はその点では負け犬ではなく、負け犬論者にして負け犬成金なのである。そんな「強者」たる彼女をお嬢様扱いするのは、彼女にとってもよいことなのだろうか?

斎藤もそうだが、おそらく彼以降の世代の「男子」は、私も含め「女性に対する暴力」というのを封殺されて育って来た。DVは今ではニュースでは欠かせぬ話題だが、これはDVが増えたというより、DVが「ほどよく減った」ことにより、全国ニュースに載せられる頻度にまで減ったことの裏返しだと私は見ている。私自身、それはとてもよいことだと思うし、私の家庭は私の両親の家庭よりずっとうまく運営されていると自負している。

それでも、この対談を見て嘆息をせざるを得ないのだ。

それが却って女性を「腐らせて」はいないのではないか、と。

強くなければ、生きては行けない。やさしくなくては生きていく資格がない。

これに男女はもはや関係ないはずなのだが、男は強弱に関係なくやさしくあることを強いられ、女は強弱を偽ることすら許されるというのでは、男達がニジゲンへ亡命するのも当たり前ではないか。

本書を読んでもう一つ気がつく事は、「つがいの不在」である。

これは先ほどのan・anのところでも少し指摘したのだが、今の日本でオタクよりニートより負け犬より婦女子より肩身の狭い存在は、「カップル」のようにも見える。本書でも、その事実に対する指摘は

ひとまずお休みだお( ^ω^) - 「モテ」や「萌え」は希望の源なんです!
日本人の同性同士の関係は強い。カップル文化は青年期のみで、大人が同性でつるむことに寛容。

とあるのだが、それがなぜなのか、そしてそれがいいことなのかという考察はあまりない。いや、斎藤はさりげなくそちらに話題をふろうとしているのだが、酒井が/dev/nullになってしまっていて先に進まずという感じだ。さもありなん。酒井自身がツルミストなのだから。

そんな酒井が一バカ剥けたところを、見てみたいものだ。

Dan the MAN