申し訳ございませんが、そのお願いを受け入れる訳にはまいりません。

404 Blog Not Found:ブスコバンで癒せない痛み-a_beeさんのコメント
出来れば、タイトル名の改名をお願い申し上げますm(_ _)m

まず、「ブスコバン」という言葉は、貴女のものではありません。私のものでもありません。登録商標だと存じますが、だとしてもその登録商標の所持者のものでもありません。

強いて言えば、皆のものです。それに「貴女が傷ついた」からといって、あなたがどうこうできるものではないのです。よく考えてみてください。私が皆に向かって「劣化ウラン『弾』という言葉に私は傷ついた。ただちに使用を撤回する」という理屈が通用しますか?あなたがお願いしているのは、まさにそういうことです。

ちょうどいい機会なので、私が「心の傷」や「言葉の暴力」というものに関してどういう見解を持っているのか述べさせていただきます。

私は、「言葉の暴力」に対して「物理的暴力」と同じルールの適用、すなわち「暴力を振るったものに社会的制裁を与えるべきである」とは思っていません。極論してしまうと、「言葉の暴力に際しては、傷ついた方が悪い」とすら考えております。

「言論の自由」というのは、その暴力を認めることに他なりません。

もちろん実際には、「言葉の暴力」は時に傷害罪を構成することからわかるように、無制限の行使が認められているわけではありませんし、「正当防衛」に見られるように、「物理的暴力」に対してもフェア扱いされることもあることからもわかるように、どちらの場合も判定はケースバイケースです。

とはいえ、「言葉の暴力」のファウルラインは、「物理的暴力」のファイルラインより遥か遠くにあるのは、どんな社会においても事実ですし、自由主義社会においてはなるべくファウルの笛は吹かない建前になってもいます。

とりあえずブスコパン!: 子どもの頃に受けた言葉の心の傷は後々大きく引きずるもの
私以外に多数の女子が、福田和也氏からイジメ(被害)を蒙っているのは、 虚偽でも、私の妄想でもありません。

私はそれを妄想だと申し上げているつもりはありません。が、それを見て「福田君」が改心したり貴女たちにわびを入れたりする状況というのも考えにくいのです。むしろ「だからどうした」という返ってきてそれで終わりならましなほうで、冷笑の末黙殺という反応こそ自然でしょう。彼の「暴力」はファウルラインの内側にあるのですから。

もし、言葉の暴力をこれ以上浴びたくなければ、「外には出ない」ことにつきます。blogを開設するといういことを含め、公で発言というのは、「言葉の暴力には言葉の暴力で対抗する」という意思表明だと私は考えています。だから、「暴力をふるうな」という一言は逆説的ですがファウルなのです。

もっとも、全ての暴力に共通することですが、それがファウルでないからといって野方図に行使していては、ルールが改正されてファウルラインはどんどんきつくなっていきます。言葉に関しては、その行使がはるかに広範囲に認められているからこそ、それがどんな暴力になるかということに我々は敏感でなければならないのでしょう。

30代毒女沼の中 - それもこれも全て愛とやらだとすれば、だから何なの。
罵倒とか侮辱とかいじめとか批判とかなんかそこらへんの一番たちが悪いとこは「それが楽しい」という事実だ。
人を傷付け、自分を傷付け、世界を傷付けることにはどういうわけかセックスに近いような快感が伴う。いや殆どしたことないのに、イメージで適当に言ってますけど。

いじめは人間の専売特許ではありません。おそらく罵倒、侮辱、いじめには生物学的なメリットがずっとあったのでしょう。それを抑え込まねばならなくなったのは、個体密度が上がったから。本能に逆らってでもそれを抑え込んだ方が、総合的に見て個々の幸福度が増す、という考えかたです。

我々は、隙あらばいじめる、そういう生き物である、ということを出発点にするべきなのです。「福田君」だけが過剰に暴力的性格の持ち主ではないのです。

そして皮肉なことに、暴力を牽制するのにもっとも効力を発揮するのが、暴力です。相手に暴力をふるわさせないための一番手っ取り早い方法は、「私に暴力をふるったらあなたはもっと痛い目にあう」というメッセージを発しし続けることです。これにはどちらの暴力もさほど差がありません。冷戦が「冷たい」ままで完了したのは、お互いそのことを知っていたから、いや互いに思い知らせあってたからです。

実はその意味において、blogというのはとんでもなく強力な武器なのです。もう革命といってもいい。今まではマスメディアが独占していた武器が、一般に開放されたわけです。一人一人が核保有国というのは言い過ぎですが、ムシャハディンのスティンガーミサイルより強力。そんな武器を誰もが保有し行使できる時代に我々はいるのです。

だから、「一方的に傷ついている」という主張は、ましてやbloggerであればしにくいのです。世界で二番目に軍事予算の豊富な国が戦争の放棄を謳っているような違和感がそこにはあります。

傷つけられたくないからこそ、自分の傷つける能力に対して敏感でありたいのです。

Dan the Man with A Gun