実はコードそのものには何の力も無い。

未来のいつか/hyoshiokの日記
コードには力があるんです。社会をよくする力があるのです。

それに力を与えるのは、ユーザーである。

本には力は無い。力を与えるのは読者である。

法には力は無い。力を与えるのは有権者である。

そして力そのものには、善悪を左右する力はない。善悪を左右するのは人である。

しかし、「『コード』以前」と、「『コード』以後」では、決定的に違うことが一つある。

こういった哲学的禅問答が、日常茶飯事になったことである。

かつて「コード」と「ユーザー」は、もっと時間的に離れていた。ある科学的発見や理論的予言が実体験されるのは、ずっと後の話だったのだ。アインシュタインは一般相対論の実例をエディントンに見せてもらったが、EPRパラドックスの実例を見るほど長生きは出来なかった。

コードは、違う。今や書いたはしから使われる。それがblogに投稿された一行野郎(one-liner)だろうが、ウイルスだろうが、書いてからその結果を目にするまでの時間は恐ろしいほど短い。

だから、何か起きたとき、昔ほど「悪いのは使った奴だ。作った私ではない」ということを強くいうのははばかられる。実際、その「言い訳」が通らない事例も増えてきている。Winnyはコードそのものが罪だとみなされたではないか。

今ほど「使われたときのことを考えてコードする」ことが要請されている時代はないのに、今ほど「一刻も早くコードを書く」ことを要請されている時代もないのだから。考えることは増えるばかり、納期は減るばかり。

肩も凝るわけだ。

Dan the Coder