これを無条件に認めるには、(特定)個人が持つ力というのは大きくなりすぎているのではないか。
finalventの日記 - 毎日社説 視点=ジダン選手 論説委員・中島章隆この問題、人には許されざる侮辱というものがあり、それには自己責任を持って対処していいと思う。
そういう状況はすでに前世紀に完成している。
端的に言うと、核ボタンに指が届くものが、「名誉のために」それを押したらどうなるか、ということ。
finalventの日記 - 毎日社説 視点=ジダン選手 論説委員・中島章隆人は一義に自分の信念で生きる。それが法に抵触するなら、法を破ってその公的な罰を受ける。
その法そのものを滅ぼす力を持った個人がたくさんおり、そしてその数は時代とともにむしろ増えているのである。今やそういった力を持つ者は為政者に限らない。社会的に重要なインフラにアクセスをもつ者は、すべてこの問題に向き合わされているといってもいい。
行使できる力はずっと大きくなっているのに、それを統べるノウハウはほとんど進歩していない。個人による「事故」が発生するたび、場当たり的な弥縫策がほどこされてそれでおしまいだ。もう少しなんとかならないのだろうか。
ジダンはある意味幸せだった。ピッチの上では信念のままに生きても法が破壊されることはありえないのだから。スポーツの人気というのは、ある意味「法の安全性」が確保されているが故に、思慮なしに信念を行使できるところにあるのかもしれない。
しかし、ピッチの外でも信念をそのまま行使できるほど牧歌的な世でなくなって久しいことは忘れてはならない。冷戦の最大の教訓はそれではないかと私は思っている。
Dan the Potentially Hazardous to the World
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