我が畏友、宋さんらしい問題意識なのだが、しかしその解決法は根治術とは言い難い。
社会貢献うたうIT経営者の偽善??過労自殺が語る業界の労働事情?ビジネス-最新ニュース:IT-PLUSこの現状を食い止める方法があります。それは労働時間の長さで差をつけられないようにすることです。労働時間を平等に8時間に制限しておけば、作業量に対して人月数を積んでいくモデルは崩壊します。
なぜなら、労働時間、いや、コードに触れる時間を制限してしまうというのは、責任感あるすぐれたエンジニアであればあるほどむしろ辛いものだからだ。
「あと5分あれば、このバグを潰せる」といった時に、「本日の就業時間は終わりました」と言われて退社しても、次の出社時間まで、そのバグのことで頭がいっぱいで休めない。エンジニアというのはそういう生き物だ。また、その五分を惜しまず「明日やればいいや」というタイプのエンジニアというのは伸びない。優れたエンジニアは、皆「無理」の効用を知っている。
問題は、この「無理」が「あたりまえ」になってしまっていることなのだろう。身も蓋もない言い方をすれば、エンジニアというのは自ら進んで搾取の対象となりやすい稼業である。「こっちは少しでもいい仕事をしたい。仕事の待遇と報酬なんて、それこそ会社が考えることで、わたしの仕事じゃない」というわけである。
一つの方向性として、「タレントとマネージャー」方式、別名芸能界方式というのが考えられる。労務管理はマネージャーに任せ、タレントは仕事に専念する。本来「タレント」は「才能」を意味する言葉なので、優れたエンジニアにこそふさわしい方式なのだが、この方式はなぜか国の内外を問わずどこも採用していない。
なぜそうなのかを考えると、芸能人が出演した番組、漫画家が描いた漫画、作家が書いた小説などの「芸術作品」は、実際の権利はとにかく、作品を買ったものも作ったものも、気持ちの上では「作者のもの」という感覚が浸透しているのに対し、「製品」に関しては会社に帰属するという違いに思いがいたる。
この点が見直されないと、デスマーチはいつまでたっても終わらないのではないだろうか。
仙石浩明の日記: 生活水準の「中流」と能力の「中流」ソフトウェアの開発業界では、 「中の上」の人 10人より、 「上」の人 1人のほうが力になる、 というのが常識として浸透しつつあると思う。 「人員を投入すればするほど、かえって工期は長引く」とか、 「少数のプログラマで開発する方が短期間で品質の高いものが作れる」 とかの事例は広く知られるようになった。 しかし世間一般では、 まだまだ「大勢の普通の人」の方が 「少数の優秀な人」より役に立つ、 という感覚なのかも知れない。
ところが、「上の人」1人に対し、「中の人」10人分の報酬が支払われることはないのである。せめて5人分、いや3人分支払われるのであれば、エンジニアが切磋琢磨する動機も働くのであるが。
そもそも完全に「製品」とみなされるのであれば、それを何人で作ったかは関係ないはずなのである。しかし相手に「何人で開発します」といったとたんに発注側も人月で見積もる。これでは「製品」と「作品」の悪いどころ取りである。
とにもかくにも、エンジニア、に限らず「作品を評価される人々」というのは、放っておいても残業してしまいがちな生き物であるということはもっと知られてしかるべきではないか。
Dan the Engineer
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