どちらの意見にもかなりの違和感を感じる。

ウサギと亀の共通項が見えますか? 「特殊への執着」が日本のソフトを弱くする?ビジネス-最新ニュース:IT-PLUS
日本の経済力と技術力からみて大変不自然なことがあります。それは世界に通用するソフトウエアの欠如です。
雑種路線でいこう - 「日本への執着」が日本のソフトを弱くする
技術ベンチャーが生まれなかった理由を「技術者の卑屈な『日本人特殊論』」に帰すことは,世界に通用する志と技術を持ちながら閉鎖的な資本市場と取引慣行故に世界で羽ばたけなかった多くの技術者からも,排他的な取引慣行を放置するどころか無駄な税金を垂れ流し続けることで業界構造を温存した過去の失政からも目を背けることであって,かなり悪質なデマゴーグではなかろうか.

まず、宋さんの意見の方だが、「世界に通用するソフトウエアの欠如」という前提そのものが誤っているのは、宋さんご本人「ゲームソフト、アニメなどのソフトコンテンツもたくさんあります」と最初に認めている。

その上で、宋さんは「汎用性の高いソフトウエアパッケージ分野」に限定して話を進めているのだが、Ruby一つとってもそれが誤りであることは明らかだろう。むしろ「汎用性の高いソフトウエアパッケージ分野」は合州国企業の独擅場であり、そこに合州国以外のものがあることの方がむしろ珍しいとすら言える。実際合州国ブランド以外の「汎用性の高いソフトウェアパッケージ」で他ですぐに思い出せるのはSAP(ドイツ)ぐらいだ。

一方、「わたしは日本にも世界に通用するプログラマが少なからずいると信じる」と終始一貫して述べている南方司殿にも、視点がそこで止まってしまっているのが気にかかる。世界に通用するプログラマーは、合州国や日本ばかりではなく世界中にいることを私は肌で知っているし、それは南方司殿も同様ではないか。この「世界に通用する技術者がどこに生まれるか」の答えは、「どこでも」。それ以外にはない。

むしろ適切な設問は「なぜ『合州国で通用する』が、『世界で通用する』と同義語になったか」なのではないか。

これも実は答えはなんのことはない。「そこが世界最大の市場」だからだ。「東京が日本の代表」を一回り大きくしたのと同じ構図がそこにはある。それが誤りであることを我々は理論としては知っているのだが、直感としては東京チャンプが日本チャンプで、合州国チャンプが世界チャンプなのである。

それほどまでに、市場の大きさというのは重要で、実は「通用する」という言葉が最終的には「市場で」を意味している以上、技術力の多寡というのは、通用するか否かを決める要素としては、技術者たちがそう思いたがっているほどには大きくない。少なくとも最大の要因ではない。「技術力一」が「市場一」になることは、むしろ稀である事はソフトウェアの世界でも同じだ。

と、ここまでは第二次大戦終了後一貫して同じだったのだが、インターネット以前と以後では、決定的に違うことが一つある。

「世界に通用する人」がどこで暮らす必要があるか、だ。

かつて「世界で通用」するためには、最も大きな市場に自らをおかねばならなかった。テニスならウィンブルドン、そして工業製品では合州国、というわけである。場合によっては人だけではなく工場すらそうする必要があった。車がその典型で、今や日本車は日本以外の国で作られる台数の方が多い。

ところが、今や「世界で通用する人物」は、自分の好きな「田舎」にいながらにして、「ウィンブルドン」に出向く事なく勝負できる時代が来ている。前に紹介してここでもう一度紹介している"The World is Flat"の指摘で最も重要なのは、この一点なのである。

にも関わらず、LinusもGuidoも今は合州国にいる。彼ら自身がそういう状況の成立に多大な貢献をしているのに「昔ながらのやり方」で「世界に関わっている」のは、ちょっと古くさく感じる。傑物2.0社会を生み出した傑物1.0とでも言おうか。

その点、Matzさんはまさに傑物2.0なのだろう。

Matzにっき(2006-07-15)
私の周辺(ちょっと下の世代かな)は、アメリカ留学したがる人が多くて、 実際に行った人もたくさんいるのだけど、 私自身は今までの人生で一度も、アメリカで勉強したいとか、 仕事したいとか、考えたこともなかった。

Matzさんは、合州国どころか東京に「進出」することすら考えていない。考えていなくてもちゃんと世界に通用している。なぜそうなのかと考えると、Matzさんにとって島根が充分「ゆたかな」場所だったからだろう。なんといってもNaClという職場があるのは大きい。

そう。職場。おそらくLinusやGuidoにはそれがなかったのだ。というより彼らの「田舎」はそれを用意できなかったのだ。

  • 世界に通用する人物は世界のどこにも存在しうるが、世界で通用する人物が暮らしていける場所は限定されている。
  • しかしその限定条件は、昨今急速に緩和されていている。
  • そして限定条件さえ満たされれば、世界で通用する人物はそこに居続ける。

結局月並みな前提と月並みな推論から月並みな結論しか出てこなかったが、月並みだからこそ「世界に通用する結論」が、これである。

Dan the Glocal Man