命の値段、まさにそれを扱った書がここに存在する。

志村建世のブログ: 生命の市場価格
「命の重さに定価はない」のはその通りですが、人間の生命に「市場価格」または「実勢価格」があるのは、事実のように思われます。

本書は、日本航空で1994年まで事故処理を担当するという、まさに「生命市場」の第一人者が語る、命の値段の見積もり方の実際である。大変な良著なのだが、現在新刊で手に入れるのは困難なようだ。

本書は、決して散文的に見積もりの実際だけを紹介した本ではない。倫理的、哲学的話題に関しては、序章と最終章で丁寧に解説している。しかし本書を本書たらしめているのは、その間にある見積もりの実際であり、それゆえ本書は定性的な議論に終始している数多の書とは一線を画している。

ここで、第二章から、日本における命の値段の算定式を紹介することにしよう。

命の値段 = 葬儀費用+慰謝料+逸失利益+弁護士費用ー過失相殺額

これだけである。何ともそっけない。

「あなたが誰か」、この場合「あなたの職業は何か」によって命の値段が変わる。そう。職業によっても変わって来るのだ。死の間際に稼いでいた人ほど高くなるのだ。ここではニートの「値段」は社長の「値段」よりも確かに「安い」のだ。このことだけでも受け入れ難い人は多いだろう。

ここまでは、多くの人が知っている事実だと思う。

しかし多くの人が見落としているのは、より大きな要素として「どのように死んだか」ということが存在することだ。事故で「殺された」方が、病気で「死ぬ」よりも「高い」ということになるのだ。

もちろんここでいう「値段」は、あくまで事故の際に加害者が被害者に支払う金額であって、当然保険に入っていればその値段も加わる事になるし(この場合は命の値段を見積もっているのは被保険者ということになる)、年金などを考えれば、国家や自治体がその人の死によって間接的に受益する金額もある。本書はそこまではカヴァーしていない点は留意されたし。

しかし同じ死なのに、事故だと値段が顕在化し、自然死だと潜在化したままというのは、職業の貴賤で命の値段が変わることよりさらに理不尽に思えないだろうか?

命を換金するのであれば、殺された方がましである。このことは、小さからぬモラルハザードの種となりうる。保険金のための自殺および他殺というのはまさにそうであり、本書でもこのことは指摘している。

本書は現行の命の見積もり法が正しいとは一言も言っていない。実際著者はところどころで命の値段を見積もることにより起こる問題を指摘しているし、一章まるまる割いて現行制度の問題点を整理している。

しかし、それでも我々は命に値段を付けずにはいられない。PricelessはNo Priceではないのだから。命を見積もるのは葬儀屋に似ている。嫌なことだが誰かがやらねばならないのだ。

だから実際に命の値段がどう付けられるのか知っておく事は、命を祖末にすることの対局にある。実際のところ、命の値段には交渉の余地が多いにある。それは上の式を見ても明らかだろう。遺族が声を挙げないと、値下げはどんどん進んでしまうのだ。かといって「彼/女の命は地球より重かったのに」という主張は無益である。

私自身は、「命の値段」はある、というよりどんな死に関しても、きちんとその「決済」はなされるべきだと考えている。しかし、本書で紹介されている見積もりの実際は、私が「こうあるべき」と考えている手法とはだいぶ異なる。おそらくあなたの「こうあるべき」ともだいぶ異なっているだろう。だからこそ、現状がどうなっているのかを知っておくべきであり、そして本書はそれを知るための希有の参考書なのである。

Dan the Mortal