というわけで、続き。

404 Blog Not Found:1998年じゃ遅すぎる
次のentryからそのあたりを考察していくことにしよう。

主題は、こちら。

「Googleはオープンソース組織を内部に持つ営利企業」---梅田望夫氏が語るシリコンバレー精神とオープンソース:ITpro
謎のひとつは「スケジュールもなければロードマップもない。てんでばらばらなのに,非常にクオリティの高いソフトウエアが生まれてくる」(吉岡氏)という,オープンソース開発モデルの生産性の高さだ。

なぜ、オープンソースの生産性は高いのか?

身も蓋もない答えを言ってしまおう。

生産性が充分高いプロジェクトしか手をつけられないからだ。

「生産性が充分高い」とはどういうことか、というと、「すでに他でうまく行っているプロジェクト」のことだ。

今まで上手く行ったオープンソースプロジェクトを見ると、一つの点に気がつく。

オリジナリティの欠如、だ。

いずれのプロジェクトにも、先行する商業製品が存在するのだ。LAMPに限ってみても、商業UnixなしにLinuxがありえたか?NCSAなしにApacheがありえたか?Oracle,Sybase,InformixなしにMySQLがありえたか?shell scriptとawkなしにperlがありえたか?

オリジナリティというのは、生産性の大敵なのである。それでいて「生産性の母」でもある。だから著作権法だの特許法だのをこさえてまで保護してきたのだし、それによる価格上乗せを我々は許容してきたのだ。より高価格のものを売ろうとしたら、より多くのオリジナリティを盛り込まなければならない、ということを社会通念にしたのだ。

オープンソースには、オリジナリティの縛りがない。サルマネは、本来オリジナルに支払われるべき利潤を横取りするからこそ忌み嫌われるのだが、利潤を放棄することによってオープンソースは「サルマネ」という影口を封じてしまったのだ。なにしろ懐に一文も入れていないのである。これでは責めようがない。

だから、オープンソースにおいては、「すでに上手く行く事が保証されている」ものだけにcontribute--貢献することが可能となる。上手く行くかどうかはすでに他の連中が散財して保証してくれている。あとはそれを実装するだけでいい。

その実装の部分だけ見て、「生産性が高い」というのは、早計もいいところなのだ。実のところ実装は開発コストの二割程度。八割をはしょっていいならそれは生産性も上がるというものだ。ましてやその他にもコストがかかる、品質保証も放棄しているのだから、生産性が商業的開発の10倍あっても驚くには当たらないのだ。

「サルマネ」がいやなら、「ジェネリック医薬品」という言葉もある。Open Source Softwareというのは、ある意味「ジェネリックソフトウェア」でもある。同じジェネリックでも医薬品であれば工場も資金も必要だが、ソフトウェアであればそれらも事実上不要。せいぜいcvs/svnサーバーがあればいい。それすらSourceForgeのような仕組みがすでに用意されている。

善意以上のコストをかけれられないのであれば、善意だけでペイするものを作ればいい。

Open Sourceがうまく行った理由として一番大きな理由は、これではないか。

Dan the Open Source Programer

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