加野瀬さんのリクエストにより書評。
「インタビューの評論だけではなく、肝心の本の評はどうよ」ということで。
結論から言うと、
404 Blog Not Found:リキッド化って流動化?それとも液状化?でも、 honeyee.com |Web Magazine「ハニカム」僕の新刊も660円で出してます。ハードカバーで、しかも上巻下巻のトフラーもフリードマンも、時代にあってないと僕は思うんです。この下りには禿同。
とあるように、買って元が取れる本ではある。誰も、とは言わずとも多くの人がおぼろげに感じていることを、高城氏にしかできない表現で綴られている。これは良い文章の定義に立派にあてはまる。
問題は、高城氏自身は自分の考察に対しどのように行動してきたか、だろう。
「コンテンツからスタイルへ」というのは、本書の根幹をなす主張なのだけど、そうなるとやはり「フランキー・オンライン」は外すわけには行かない。コンテンツ過剰で駄目になったものの代表がそれなのだから。
私自身は、フランキー・オンラインという高城氏の大失敗を大いに評価している。何が駄目だというを実例をもって示してくれたのだから。当然その高城氏の手による書なのだから、その事が多いに書かれていていいと思ったのだが....
ない、のである。「フランキー・オンライン」という字が、どこにも。
本書の著者紹介には、こうある。
高城 剛
映像作家/DJ。1964年東京、葛飾柴又生まれ。生家は煎茶道家元。日本大学芸術学部在学中に東京国際ビデオ・ビエンナーレ・グランプリ受賞。卒業後 CF、音楽、テレビドラマ、映画制作、DJなどメディアと国境を超えて活動中。総務省「次世代放送コンテンツの振興に関する調査研究会」委員、「『地域文化デジタル化事業』の推進に関する構想委員会」委員
そう。なぜか受賞歴と委員歴ばかりが書いてある。これだけでも、高城剛の自画自賛本だと見られても仕方がない。はっきりいって「やば」くて「ヤバ」くない。
本書で高城氏は、「ヤバい」を、本来の「やばい」の意味だけではなく英語の"cool"、中国語の「酷」の意味で使っている。この「ヤバ」いの二重用法に見られるように、高城氏は実にヤバい感性の持ち主であるにも関わらず、行動がじつに「ヤバ」くない。
なぜ、彼は上手に開き直れないのだろうか。彼が日本にいることによる限界なのだろうか。彼は開き直ることは「ヤバい」のではなく「やばい」と判断しているのであろうか。
それゆえ、彼のヤバい意見のそのほとんどに私は賛成なのにも関わらず、彼の言葉は私の心には響かなかった。むしろ指摘が正しければ正しいほど、「口では何とでも言える」という「反感」が強くなるのだ。もし彼が本書にかいたように「我が国を信じている」のであれば、まず「我が国は失敗を正面から受け止めるものを支持する余地がある」ことを信じてみてはいかがだろうか?残念ながら、著者紹介のありようは、彼が根本的なところで日本に不信を抱いているように思えてならないのだ。
日本は、新しいものを受け入れることに関しては世界で一番ヤバく、しかし失敗を許さないことにかけては世界で一番やばい国なのかも知れない。私は、本書の行間をそう読んだのだが。
Dan the Ex-User of His Product
今野浩著「金融工学20年」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492670211
の「弾流書評」を読んでみたいものです。
こんな面白い本が1年前に出ているとは知りませんでした。