うーん、困った。

初出2006.09.17

原作より、漫画のほうがずっと面白い、いや凄い、からである。

私は圧倒的な原作派で、漫画化されたものや映画化されたものには、「こんなの○●じゃない!」と幻滅を覚えることが多い。

ところが、「シグルイ」と「駿河城御前試合」には、逆の印象を抱いたのだ。

「え?駿河城御前試合ってこの程度だったの?」、と。

同じ時代劇なら、たとえば宮部みゆきあたりの方がずっと面白いのだ。

確かに物語は残酷で無惨だ。けれどもそれはいかにも記号的で、表現に情景を描写させるような工夫はそれほど見られない。どれだけ記号的かというと、失踪して崖を過ぎても気がつかないでそのまま空中を走り続けたキャラクターが、唐突に地面がないことに気がついて、そのまま垂直に落ちて行く、今でもCartoon Networkでやっている昔のアメリカのアニメのような感じなのである。

確かに本書が最初に登場した1959年であれば衝撃的だったのかも知れないが、目の肥えた現代の読者を満足させるものにはほど遠いものに思われる。


駿河城御前試合

南条範夫原作集
平田 弘史

これが平田先生の手で劇画化されると、確かに表現は豊かになった。血も腸も放物線を描いて落ちて行くのが見て取れる。これが本来の描写だ、と思わせる一方、プロットの方はかなり南条版の原作に近い。少なくとも時系列をいじったり原作にはない登場人物が登場したり、ましてや主たる登場人物の性格に手を入れるということはしていない。

シグルイ」は、平田版「駿河城御前試合」にも登場しない、しかし「駿河城御前試合」では最も残酷無惨な藤木と伊良子の物語を漫画化、いや山口貴由が全面的に描きなおしたものだ。現在六巻を数えるが、原作ではなんとこの間は22ページしかない。

原作では「単なる一流派の開祖」だった岩本虎眼をここまで妖しくクルわせたのは、山口先生以外の誰でもないだろう。普段は朦朧曖昧、失禁すらするオイボレであり、身分が上のものにはいじましいほどへりくだる小役人だが、いざ剣を取れば狂虎。その現実離れした技が、これほどリアリティを持ち得るのは、虎眼がシグルイだからに他ならない。

その虎眼に目を奪われた盲竜、伊良子清玄のシグルイもまた凄まじい。これまた原作では「ただの女好きで師匠の妾に手を出した高弟」だった伊良子に、夜鷹で脳梅の母と、道場破りから一転、虎眼流に弟子入りし、虎眼流の跡目を狙うだけの野望を与えたのもまた山口先生だろう。そして師に目を奪われてからは一転し、検校の庇護のもと、虎眼流の手だれだちを次々と「縦割り」にしていくエピソードもそうである。原作には藤木と牛股しか登場しないのだから。

それゆえ、本作品を「原作 南条範夫」とするのは、Star Warsを黒沢作品とよぶのと同じぐらいの違和感がある。確かに虎眼、藤木、伊良子といった主要人物は変わらないし、師匠が弟子の目を奪うといった大きなエピソードの結果は原作どおりであるが、もしこれで「原作」が成立するなら織田信長について書いた諸作品はすべて信長公記が原作ということになってしまうのではないかというぐらいオリジナリティは高い。

なのに、山口先生はあくまで南条先生を立てる。まるで藤木が虎眼を立てるがごとく。「漫画家の命は漫画家の命ならず 原作者のものなれば 原作者のために作品を得ることこそ萬画家の誉れ」というのが山口先生の覚悟なのだろうか。

Dan the Shiguruist