動物園の園長先生といえば、最もおだやかな職業というイメージがあるが、そこにこれほどの戦いがあるとは。
「戦う動物園」pp.7彼らの半生の記録は、ひたすらたたかれるだけの苦難の時代を耐え抜きながら、ひるむことなく周到に準備し、その後に来た誰にも訪れるはずのただ一度だけの幸運をつかみとった果敢な攻撃の戦記でもある。(島泰三)
というプロジェクトXのネタになりそうな前ふりも無理もない。小菅氏はあの旭山動物園の園長。今をときめく旭山動物園も、わずか10年前にはエキノコックス騒ぎで存亡の危機に。彼が園長になったのがまさにその時点だった。この話は実際にプロジェクトXで取り上げられたそうである。
もう片方の岩野氏は、到津の森の園長だが、何と閉園を経験している。閉園してしまった動物園を市民の募金で復活させたという点においては、旭山動物園以上に困難だっただろう。
この二人の対話を日本アイアイファンド代表の島氏が編者としてまとめたのが本書で、これが面白いのなんの。下手なビジネス書は目じゃない。
熱血漢の小菅氏と「癒し系」の岩野氏は、それこそ性格は海と山ほど違う。しかし、この二人に共通していることが二つある。
一つは、今もなお第一線で活躍している現役の獣医であること。彼らは管理職のトップではあるが、現場を離れているわけではないのだ。
そしてもう一つは、双方とも市長の強力な後押しがあったこと。彼らの活躍も、旭川、北九州両市長の強力がなければ成り立たなかったのである。
現場力と、出資者の了解。
どんな戦いにも共通する勝利の方程式である。
だから、
プログラマ35歳定年説に思う|悪態のプログラマ業界自体の歴史が浅いため、こうした問題は、重大視されてこなかったのかもしれない。しかし、本来なら、有能なプログラマこそ、純粋にプログラマとして働いてもらうべきだろう。
というのは非常に視野が狭い考えかただ。「プログラマー」という肩書きに拘泥したいならとにかく、「SE」だろうが「プロジェクト・リーダー」だろうが、プログラム出来ればいいではないか。むしろ「SE」や「プロジェクト・リーダー」になったとたん現場から手を引かせることこそ問題なのである。
これは技術職一般にあまねく言えることだけれども、特にプログラムの世界はそれが大きいと思う。私自身、プログラミングに割く絶対時間は減っても、プログラミングスキルはプログラム以外の仕事をすればするほど上がって行ったことを実感できている。コードばかり眺めていても、いいプログラマーには絶対なれない。
オープンソースがプログラマーにアピールするのは、実はこのこともあるのではないか。オープンソースの世界では、「雑用」はプログラマー自身が行う。特にユーザーとのやりとりは時間も多いに費やす。しかしこのことがプログラマーとしての能力を高め、その自己達成感が報酬となるのだ。
ここでユーザーとのやりとりというのは、ビジネス一般においては出資者の理解となる。職人たるもの、使ってくれる人の理解を得てなんぼである。その点が芸術とは大きく異なるのだ。どんなに優れた案でも、ユーザーが納得してくれなければスパゲッティですらない残飯なのである。
有能なプログラマーこそ、「雑用」を厭わないものなのではないか。優秀な獣医は、その何とも意外な傍証である。
Dan the Cyberzoologist
もちろん、強力な協力だったと思います。