Televisionを「テレビ」と書くか「テレヴィ」と書くか、それとも"TV"と書くかはたまた「電視」と書くかはまだ違和感としては強くない。「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言ひ」ならそれ以前からあったのだし。

平野啓一郎ブログ - カタカナ表記について
前日のブログで、「テレヴィ」と書いて、さっそく、「なんだそりゃ?」というツッコミを受ける。
僕は小説の中でも、よくこの表記をしていて、これまでにも色々言われてきたが、やめません(笑)。

名詞はまだいいのだ。今やalphabetは日本語第四の文字として認知されている。書籍はとにかく、書くときも横書きがほとんどの今、気になればas-isで書き下してしまえばいい。私はカタカナ語が苦手なので、なるべく漢字表記するか(i.e.電脳 vs コンピューター)さもなくばalphabet表記する(i.e. blog vs ブログ)。

僕の印象では、これから少なくとも、今より多少は英語がうまくなっているだろう日本人は、英語のカタカナ表記にもう少し敏感になっていくんじゃないかな。因みに、明治大正の頃の作家は、語学が出来る人が多かったから、意外と元の発音に近いカタカナ表記をしてます。今の表記の「定着」の歴史も、極浅いものだと思う。

問題は、それを動詞として使うとき。

日本語は、名詞指向の言語だ。まず名詞があり、それを活用して動詞を作る。「する」さえ付けてしまえば何でも動詞になるのだから楽である。

対して英語に限らずインド・ヨーロッパ語族はずっと動詞指向。特に英語は、どんな単語でも動詞の位置に置くだけで動詞扱いになる。例えば「甘えないでよ!」という時に"Don't honey me!"と言ったりする。"Don't call me honey!"と言い直す人は、学校ではいい点を取れるかも知れないが家庭では及第点を取りづらいだろう。

これを日本語に押し込むとどうなるか?

「コミュ−ニケート」するのか?

「コミュニケーション」するのか?

どちらをとっても違和感でめまいがする。前者は元々動詞なのに、後ろに「する」を付けていて不要な「二重動詞」な感じがするし、後者はわざわざ英語で動詞を名詞化してから、それを日本語にもってきて「する」を付けている。文法的にはこちらの方がしっくり来るが、むちゃくちゃ迂遠だ。

「ググる」のようなコンパクトな例もあるが、こちらは(発音上の)語尾がlないしrで終わらないとしっくり来ない。

「ウェブ2.0に置けるイノベーションのコアは、ユーザーコンテンツとマッシュアップ、すなわちユーザーコンテンツアグリゲーションだ」みたいな文章は目が痛くなる。なんとかならないものか。

Dan the Danner (Whatever the heck "to Dan" Means)