これにならってPerlを使うべき本当の理由を述べてみましょう。

分裂勘違い君劇場 - 現代という時代は、どのようなプログラミングを求めているのか?
Rubyを使うべき本当の理由は、根源的には、日本で自殺者が増えた理由と同じです。
今後日本が没落していく理由とも同じです。
団塊の世代に無能な人間が多い理由とも同じです。
サービス残業が増えた理由とも同じです。
日本の多くの若者たちが未来に希望を抱けない理由とも同じです。
いまの学校教育が無能な人間の製造工場になってしまっている理由とも同じです。

Perlを使うべき本当の理由は、根源的には、日本が金持ちになった理由と同じです。
今後土建屋が没落していく理由とも同じです。
団塊ジュニアに有能な人間が多い理由とも同じです。
株式公開が増えた理由とも同じです。
日本の多くの若者たちがニート生活を享受している理由とも同じです。
いまの学校教育で得られないものが、ネットで得られるようになった理由とも同じです。

その理由は、根本的には、「ストックの向上」という環境変化に起因します。

日本において何で土建屋が隆盛したかといえば、ストックが足りなかったからです。高速道路どころか舗装された道さえなかった。水洗トイレもなかった。もちろん高層マンションなんてなかった。

こういった状況化において、仕事とはまずストックを作ることでした。それが使われるかどうかは二の次。まず「なかったもの」を「ある」状態にすることこそ肝要だったのです。

しかし今や(まだ貧弱な上高額ではあるものの)高速道路は完備し、砂利道はなくなり、トイレは便器どころかお尻まで洗ってくれるようになり、高層マンションも当たり前となりました。「あこがれのハワイ航路」は今や「遠くの日本より近くのグアム」となり、それさえおっくうならネットがあります。

こういった時代における「経営」とは、ストックを増やすことではなくストックの活用になります。

団塊ジュニアがなぜ優秀か?彼らはストックがあることがごく当たり前の時代に育ったからです。彼らはモノとは作るべき以前に使うべきものであるという認識をごく自然に持ちました。そして今我々が必要としてるのが「作る」ことより「組み立てる」ことである以上、組み立てる材料となるモノに囲まれて育った彼らの方がその親世代よりも仕事が出来るのは必然でもあるのです。

その結果、資金が常に不足していたはずの時代よりも現代の方が株式公開も楽になりました。かつては資金がないと出来ない、すなわち功成り名を遂げた経営者のゴールであった株式公開が、資金が足りないからこそ公開する、すなわちまだ金も名もないものがそれらを得るための手段となりました。ここでは株式市場を通じて、古い「金」を新しい「金」に「組み立て直して」いるわけです。

そして日本の多くの若者たちがニートという境遇にいられるのは、その親たちに充分なストックがあるからです。彼らの親が、彼らの親の親、すなわち祖父母程度にしか持っていなかったら、フリーターはありえてもニートはあり得ません。

そして、今や学びの場は学校だけではありません。実は学校だけが学びの場であった時代は未だかつてなかったのですが、それでも社会でより有利な地位を得る方法を学びに学校に行くというのは、日本に限らず多くの国で当たり前のことでした。そういう中で育った人々にとって、IRCで英語を学び、"Powered by Ph.D"なはずの言語Haskellを、学校に行くどころか本を一冊とdarcsのソースコード一式を読んだだけで pugs の「組み立て」に使ってしまったAudrey Tangのような存在は理解不能かも知れません。

なぜ、PerlよりRubyのほうが有利なのかというと、プログラミングの前半の、走る方向を調整していくフェーズでは、プログラム言語は、ある種のアイデアプロセッサであり、思考を練るツールなので、ソースコードの書きやすさだけでなく、直感的な読みやすさが重要だからです。

確かにPerlのみに着目すればそれは真実かも知れません。実際Perl 6は他のどの言語よりもRubyから盗んでいるようにすら見えます。

しかしそれは「文法」、すなわち「組み立て手順」に過ぎません。

しかし、RubyにはCPANがありません。少なくとも、今はまだ。

CPANが言語である。Perlはその文法に過ぎない」と言ったのはclkaoだったと思いますが、PHPもRubyもあるこの時代にあって、なぜそれでもPerlを使うのか?それはCPANを使いたいからです。

その違いが一番際立つのが、Ruby on RailsPlaggerの違いでしょう。Ruby on Railsは「フルスタック」です。Web ServerさえApacheではなくlighttpdやmongrelなどを、わざわざRailsのためにインストールしたりします。だから Rails にとっての Ruby というのは、ある意味 Rails の構成要素の一つに過ぎないという観かたも出来ます。Rubyを「中に含む」Railsという環境を使っているというわけです。

それに対してPlaggerは、環境であると同時にCPANのHeavy Userでもあります。Plagger Pluginsから見ればPlaggerは「環境」ですが、Plaggerから見れば、CPANが「環境」なのです。RailはRubyを「囲い込んで」いますが、PlaggerCPANに対して開かれています。

Web Serverを換えてまで環境を構築しようしたDHHと、CPANにあるものでPlaggerを「組み立てた」miyagawa君。どちらのやり方が「正しいか」という議論はしません。どちらのやり方でも、自分が手に入れたいものに手が届けばどちらも正しい。

道具を使うことに徹底すればRuby on Railsもいいでしょう。しかしそれは、Ruby on Railsという環境に「引きこもる」こともまた意味するのです。

日本という「フルスタック」な環境にいると、日本だけが世界ではないというごく当然の常識を忘れがちです。私がDHHの屈託のない英才に感嘆しつつも、Ruby on Railに「転ばない」理由がそこにあります。私はDHHとはあくまで友人でありたいのであって、Rails王国の臣民になりたいわけではないのですから。

もちろんRailsだけがRubyの世界ではありません。私自身portupgradeとbsfilterの世話になっています。Rubyにはそれを盗まずにはいられない魅力がたくさんあります。

しかし、CPANを捨てるだけの魅力はありません。

「日の下に新しきものなし」という絶望感は、実は「近頃の若いものは」という愚痴と同じぐらい古いのです。新しい試みはすでに尽きたと嘆く前に、「それはこれこれの焼き直しに過ぎない」と冷笑する前に、もう一度、自分たちがいかに豊かな「財産」を持っているかに目を向けてもいいのではないでしょうか。

それをすでに試し終わった過去と見るか、それとも未来を組み立てるのに格好の材料と見なすかは、あなた次第なのですから。

Dan the One of Thousands of CPAN Authors, One of Millions of Users