その答えのたたき台の一つとして、本書「持続可能な福祉社会」を取り上げたい。
分裂勘違い君劇場 - 借金を「返済するべき」人と「実際に返済することになる」人この日本政府の膨大な借金を、どの世代が払うべきか?
というと、選択肢は次の3つ。
- 借金をこさえた世代が返済する。(相続税増税)
- (2)借金をこさえた世代の子供たちの世代が肩代わりする。(所得税増税)
- (3)借金をこさえた世代とその子供たちの世代の両方が返済する。(消費税増税)
まあ、昨年秋から続いているお馴染みの話だが、勝哉君も家族の一員なんだから、全然問題なく、家族の資産が減るわけでもない。
問題は、勝哉君の資産はあくまで勝哉君の資産であって、家族が家族のために勝手に処分できないということだ。日本家の連結決算そのものに問題がなくとも、それが文字通り「子」会社の搾取によって成立させている現状を放置しておいてかまわないのか?というのが分裂勘違い君と私の問題提起なのだ。
本議論には「プロ」も参戦してきた。
bewaad institute@kasumigaseki(2006-10-06)ということで、毎年0.8%ずつ収入を増加させることができるなら、債務超過は解消できるのです。
ここでも同様の勘違いが見られる。我々が論じているのは、国家財政が破綻するか否か、では実はない。日本という家、若者という家族が破綻するか否かなのだ。それに比べたら国家財政なんぞ鼻くそのようなものだ。日本国民のために国家財政があるのではなく、国家財政のために日本国民があるというのであれば話は別だが。
そして若者達は、年寄り達が若者は国家財政のためにあるのであり、若者たちのために国家財政があるのではないと強烈に感じているのだ。それが嘘だというのであればその証拠をきちんと提示した上で彼らを納得させるべきだろう。
「持続社会な福祉社会」で述べられているのは、まさにこのことである。
筑摩書房 書誌検索(持続社会な福祉社会)【要旨】
かつての日本社会には、終身雇用の会社と強固で安定した家族という「見えない社会保障」があり、それは限りない経済成長と不可分のものだった。経済成長という前提が崩れ、「定常型社会」となりつつある今、再分配のシステムである「福祉」を根底から考え直す必要がある。本書は、「人生前半の社会保障」という新たなコンセプトとともに社会保障・教育改革の具体的道筋を示し、環境制約との調和、コミュニティの再生を含みこんだ、「持続可能な福祉社会」像をトータルかつ大胆に提示する。
なぜ若者たちが国に搾取されていると感じ、また実際に搾取されているかといえば、この限りない経済成長を元にした「見えない社会保障」の前提が崩れているのに、相変わらず同じやり方で国が動いているからだ。若者は汲めども尽きぬ国の資源なのだから、必要なだけ漁ればよいというわけだ。しかしこの国の近海にはニシンはもういない。同じやり方では若者がニシンになるのは時間の問題なのではないか。
タイトル中の「福祉」という字を見ると、本書もまた「あ、高齢者の福祉のために若者からの搾取を持続可能にするためにどうしたらいいかが書いてある本ね。おなかいっぱい」と誤解しそうになるが、本書のいう「福祉」は本来の福祉、すなわちゆりかごから墓場までをカバーする福祉である。当然若者も福祉の受益者であり、そして若者に重点的に受益させることの重要性を本書は解いている。それは目次を見れば一目瞭然だ。
本書は「持続社会な福祉社会」とは何か、現状とはどう違うのか、そしてそこに至るのには何が必要なのかを、形而上下双方とも実に広範囲にわたって論じている。本書の提言の全てに私は賛成ではないが、少なくとも本書の提示した日本、そして世界の姿というのは考慮に値するのではないか。
あなたもぜひ本書を手に取って考えてみて欲しい。
Dan the Man Out of Welfare
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