bannner

見そびれていたこれをやっと観ることが出来た。

上映館は残りわずかだが、時間を作れる人は是非。私は109シネマ木場で観たのだが、金曜日まで上映中。しかも500円で観れる。

もっとも、このとおりDVDも出ているので慌てる必要はないかも知れない。ぽすれんでもレンタルしているようだ。にも関わらず、まだ映画館でこれを観ることが出来たというのは、そもそも日本公開が危ぶまれていたことを考えれば奇跡的だ。

とはいえ、それでルワンダで喪われた100万人が戻ってくるわけではないのだけど。

ホテル・ルワンダ」のあらすじに関しては、ここでは述べない。すでにネットでさんざん議論がなされているし、公式サイトにもリンクは貼ってあるので。

ただ、Nick Nolteが演じていた国連軍のカナダ人大佐が、主人公ポールに向けた台詞は書き残しておく価値がある。

You can spit on my face.
[顔に唾を吐いてくれてもいい]

これがどんな状況でなされた台詞かは、是非自分の目で確認してほしい。

ポールはそんなことはしなかったが、もしその時唾を吐きかけられたとしたら、それは我々が受け止めて然るべきものだったはずだ。本作品は、決して目に快いものではない。これほど観ていて辛い映画というのはまずないぐらいだ。「シンドラーのリスト」よりも辛い。しかし、結果として何もしなかった我々は、せめて我々が何もしなかった結果が何をもたらしたかを耳に入れ、目に焼き付け、そして脳裏に刻んでおく「義理」があるように感じた。

確かにルワンダは遠いアフリカの小国で、日本はそこに攻め込んだこともなければ攻め込まれたこともない。「責任がない以上は義務もない」と言われればそれまでなのかも知れない。しかし、本当に何もできなかったのだろうか。

むしろ、利害関係が希薄であるが故に、出来ることもあったのではないかという悔いは残る。その例として服部 正也氏がいる。氏はIMFから1965年から6年間、中央銀行総裁としてルワンダに派遣された。その活躍ぶりは今も「ルワンダ中央銀行総裁日記」を通して知ることができるが、氏が活躍できた背景には、他の先進国出身では断ち難いしがらみから自由だったことも大きいのではないか。その意味では、人的な支援活動というのは、むしろ地政学的に遠い国に対しての方が行い易いのではないか。

いやいや。本作品は小国とはいえ人口700万の大きな世界よりも、むしろむりやり詰め込んで1200人がやっとの、ホテルという小さな世界の話がメインである。それだからこそ、「100万人の犠牲者」という数字よりもそこで何が起きたのかがしっかり伝わってくる。「100万人」は「理」にくるんで飲み込むしかないが、1200人分の命のやりとりなら、何とか「情」が麻痺せずにすむからだ。

このやりとりを、ポールはビジネスの手法でやりとげる。金があれば金で、酒があれば酒で、そして何もなければハッタリで、ハッタリも尽きたら相手の弱みに訴えて。ネゴシエーションというのは今では「交渉」を意味する言葉だが、その元となったラテン語のnegotiumとは、「仕事」そのものを意味する。ポールはまさに「仕事人」であった。

その仕事の進め方に、品格(style)があるとはとても言えない。銃口を目の前にすればびびるし、死体を目の前にすれば吐き気をこらえることができず、それを思い出したら手がしびれてネクタイすらしめられなくなってしまう。シンドラーのように「この小さな手が45mm砲弾の薬莢を磨くのにどうしても必要なのです」という演説をやりとげるタイプではない。それでいて、結果はちゃんと出す。市井のビジネスパーソンのほとんどは、シンドラーよりもむしろポールに似ているのではないか。

そして本作品のリアリティをさらに高めているのが、子供たちの存在。「シンドラーのリスト」にも上で述べた通り、確かに子供は出てくるが、どこか「か弱くてはかなくて、大人なら全身全霊をもって救うべきもの」という風に記号化されていたような印象がある。対して本作品の子供は、クレヨンがあれば塗り絵をするし、集まれば歌って踊る。それが本作品を「目をそむけずにはいられない」から「何とか目をそらさずに最後まで何とかみれる」ものとしている。

目をそらさずに。

Dan the One of the Six Billion Hypocrites