大変おいしゅうございました。
本書のおいしさを伝えるだけの感性を持たぬことを自覚しつつも、紹介せずにはいられない。
本書「感性の起源 ヒトはなぜ苦いものが好きになったか」は、感性なるものに、著者である都甲潔の感性の赴くまま科学的考察する本である。といっても「感性」という言葉を聞いた途端、それを「科学」と結びつけることを我々の脳は躊躇する。少なくとも私の脳はそうだった(あまりよい比較にならないか)。それもそのはず
p.9一九二一年、哲学者天野貞祐はドイツの哲学者カント(一七二四〜一八〇四)の哲学書『純粋理性批判』(一七八一)に登場した Sinnlichkeit なる単語を「感性」と訳した。この訳に従えば、感性とは「合理性だけでは捉えられない対象を、対象から触発される仕方でその表象を受け取る能力」となる。
これほど「感性」という言葉が新しい、しかも訳語由来だというのは知らなかった。
私の無知はさておき、その「合理性では捉えられない」はずの感性に、どうやって著者であるは科学を適用したのか。それは是非本書を手に取り、目にした上で自身の感性で味わってほしい。
そもそも感性そのもの研究の対象にするというのは、現代の自然科学者にとってはかなり勇気のいることだと思う。そのとらえどころのなさ故、科学の基本的手法である分類と再構成をそう簡単には受け付けないからだ。
しかし都甲先生はそんなことはどこ吹く風とばかり、感性の赴くまま対象を選び、それを科学で切っては一旦は放置し次の対象に移り、しかし放置してあったはずの対象が、ある時点で「自己組織化される」という、粘菌のごとく不思議な手法で話を進めて行く。
驚くべきはその博覧強記ぶりで、文理聖俗古今東西を問わず適切な引用がさらりと出てくる。「純粋理性批判」と「超少女明日香」を公平かつ同列に登場させる様は、実にポストモダンである。
となると、本書が実はFashionable Nonsenseなのではないかという嫌疑がすぐにも頭をもたげる。確かに昨今の文理の境界をさまよう本の多くは単なる Fashionable Nonsense なものも多い。失礼ながら文系側からのアプローチは特にその傾向が強いと思う。しかし本書がそれらと一線を画しているのは、要所要所ではきちんと自然科学的な手法に乗っ取って論考を進めていることだ。特に本書の副題である「ヒトはなぜ苦いものが好きになったか」、すなわち味覚に関する考察においては、「プリン+醤油=ウニ」を科学的に再現、すなわち一旦要素に分解し、それを再構成することで本質を再現することに成功している。そして「食譜」に想いを馳せるのだ。
さらに驚くべきことに、これだけ内容が濃い本であるにも関わらず、本書は200ページしかないこと。本書自体が、「プリン+醤油=ウニ」の不思議に通じる不思議さを持った本だ。このなんとも言えない読後感は、とにかく味わってくれとしかいいようがない。
文字通り読者の感性に訴える、いや読者の感性が試される一冊。
Dan the Sensi(tive|ble) Man
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