中学の最後の一年は卒業式以外が登校せず、その卒業式に教員一同に「9年間の義務教育がいかに役に立たないかを徹底的に教えて頂きありがとうございました」とのたまった私がいうのもなんなのだけど。

ekken♂ : 意見を極端に表現しても望んだ議論にはならないかも
今日の放送では、美人形成外科医として有名な西川史子さんが発表したマニュフェスト「義務教育を廃止しよう」というものの議論がなされた。
[中略]
主旨としては「誰でも平等に受けられる教育が、勉強の出来ない子に合わせて進められるため、能力のある子の才能が伸びない。今の義務教育制度には問題があるので、これを廃止し、もっと個性が伸びる教育制度にしよう」と解釈。

義務教育は、ある程度押し付けがましくていい。ただ学校に行かないという選択もきちんと認めて欲しいというのが、我が身を振り返った際の「落としどころ」。

「9年間の義務教育がいかに役に立たないか」と言ったけれども、それが役に立たない、強いては社会には頼れないことが多々ある。自分で埒を開けるしかないということを早めに知ることができたのは、皮肉抜きでありがたいことだと私は今感じている。

これが、「もっと個性が伸びる教育制度」の元だったらどうだったろう。私は今の自分とは比較にならないほど鼻持ちならない輩になっていたに違いない(十分鼻持ちならないという意見はさておき)。自分の個性が尊重されるのは当然という元で育てられて、社会に出てからそれがいきなり全否定されるより、幼いうちに「社会があなたの個性を受け入れるとは限らない。闘争するにしても逃走するにしても折り合いの付け方は身につけといた方がいいよ」という形で「免疫」を培った方が大人になったときに社会を楽しめるのではないか。

もちろん、英才教育が必要で、かつそれが役立つ分野は多々ある。アスレティックなものは特にそうだろう。これらは早期に芽を見いだされて育てられないと駄目で、育ってからでは遅すぎるというものだ。そういう場は日本にもっとあってもいいと思う。

しかし、それでも学校では学べないものというのは確かにあるのだ。

Espresso Diary@信州松本:学校に行かないことを選べる社会。
凄惨な状況が終わるためには、学校に行かないことを選べる社会になるしかないと私は考えています。しかし、長野県では不登校をなくすために、現場に目標となる数字が降りていて、ある中学の教師によると「もぐら叩きの状態。なんとか独りを登校させても、次の不登校が出る」んだとか。おそらく全国でも似たようなことが起きているのでしょう。長い人生では、受験のために浪人する人もいるし、就職した会社を辞める人も多い時代ですから、私なんかは「1年や2年ぐらい、人と違っても、どうってことないのに…」と思ってしまいます。でも、横並び意識の強い日本の社会だと、「何が何でも学校は行くのが当然」なんでしょうね。よく「歳は一緒だけど、学年では、いっこ上」という言い方がありますが、私は、こういう言い方を日本人以外から聞いたことがありません。

まずは、社会も学校も、学校だけでは学べないものがあるということを素直に認めるのが出発点だと思う。

Dan the Dropout