これではまるで、「いじめられた経験」もそれによる「心の傷」も穢れなのだと言わんがばかりではないか。
ラブラブドキュンパックリコ - いじめを受けている多感な思春期の子どもにとって自殺は最善策の1つであるそんなこと承知で打ち明けるが、私はいじめられている子供は、自殺することも良いと思っている。
先日もいじめで一人の中学生が自殺したが、そのまま生きていても、
社会に出て途方に暮れていたことだろう。
多感な思春期にいじめを受けることが、どれだけ後々の人格形成に悪影響を及ぼすか。
そんなことは今までの多くの前例が物語っている。
私自身、さんざんいじめられて育ってきた。今もいじめられているかもしれない。しかし早くからいじめられてきたおかげで、今ではいじめられればいじめられるほど勁くなっていく自分を愉しめるようになってきた。むしろいじめがないと肩すかしを食らった気分になるぐらいだ。
おそらく、今社会に出ている人の中で、いじめを受けていたために“普通”の人間になりきれず、 生きにくい思いをしている人は相当数いるのではないかと思っている。
私もその一員だ。しかし私はまたその「普通でないこと」が、どれほど社会に対して強い武器になっているかを知っているし、その「生きにくい思い」がどれほど自分に対して強い武器になっているかも知っている。
もし私が「普通」で「生きやすい」人間だったら、むしろ生きてはいけなかっただろう。
だから、私は心の傷を持つ人に私は同情しつつも、心の傷を取引材料として使う人々を軽蔑せずにはいられない。確かに心の傷は痛い。しかしそれを持つことによって人は強くも優しくもなれるのではないのか。
そして、心の傷を穢れと思う思想こそが穢れだと信じる。
こんな穢れたくだらない世間の偏見のために捨てるほど、あなたの命は安いのか?
むしろ、心の傷に耐え、それを強みにしていることこそ誇るべきなのだ。それは職人の胼胝と同じで、尊ぶべきものでこそあれ蔑むべきものではないのだ。もっとも職人の胼胝を3Kの象徴と蔑む向きも少なくないようだが。
Dan the Wounded and Proud
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