学として最も自由で広大な「数学」(Mathematics)が、ここまで卑小化されて誤解されている上に、その誤解を誤解とも気がつかない人が多いのは「数」が悪いのか、それとも「学」が悪いのか、はたまた受験が悪いのか。
Logical Sebastian:再考:理系と文系 - livedoor Blog(ブログ)数学は、経過はどうあれ結論は同じ。
ならおのずと選択肢も限られる。
それを大勢でやる意義が感じられない、というのが一番の理由です。
「自明のこと」の証明が嫌いなのは、これに起因します。
数学をそう呼ぶのは、「将棋はたかだか有限種類の局面しかない、先手必勝ゲームなのだからつまらない」というのも同じだ。ましてや数学が扱う「空間」というのは、他のどんな学問より広いのだ。極論してしまえば、他の学というのは数学の単なる一分野に過ぎない。
404 Blog Not Found:Thinking Mathematicallyその全順序にのっとってリケーを整理すると、まず「好学」の一部門として「物理学」がある。「好学」のうち、たまたまこの宇宙の秩序と合致する物をそう呼んでいる。うち電磁気力が支配する領域を研究する学問を、我々は「化学」と読んでいる(英語では"Nuclear Chemistry"という言葉は生きているようだが、日本語ではもはやあまり「核化学」とは言わない。さらにその一部門として「生物学」と「地学」があり....という具合だ。
ブンケーにだってちゃんとこれは適用できる。Mathematicsの下の論理学(Logics)の下の言語学(Linguistics)という具合に。
「ディアスポラ」の旅の終わりに、Yatimaが
In the end, there was only mathematics.
と万感の思いをこめるのも、一旦mathematicsの味を知ってしまうと、ただうなずくしかない。
だから私は「文系」「理系」を問わず、「数学」を「理系」扱いされた時点でorzとなってしまうのだ。
しかし、なぜ「数学」が「理系」に分類されがちなのかはわかる。
それは、mathematicsをmathematicsたらしめている、全順序に対する姿勢だろう。「全順序?ハァ?」な人は、是非「数学的思考法」を読んで欲しい。たた二枚の図で見事に説明しているから。
「理系」は、全順序に対して忠実だ。全順序があるからこそ、先人の肩に乗ることができる。理系にとって全順序というのは、先人の肩にのり、そして後人を肩に乗せる、歴史を超えた壮大な肩車の一環なのだ。
そしてそれがため、理系というのはどうしても謙虚になりがちだ。彼らは自分の業績が自分だけの業績でないことをあまりに知っているのだ。
これに対して、「文系」というのは、あまり先人の肩をあてに出来ない。全順序をあてに出来ないからだ。肩かと思って乗っかると、そこはみぞおちで先人のうめき声が聞こえたりというのがむしろ普通なのではないか。
当然その裏返しとして、業績に対する姿勢も傲慢になりがちだ。なにしろ先人はあまりあてにならないのだから、業績に占める自分の分け前は、心の中で大きくならざるを得ない。同じ10の貢献を上げた場合でも、理系は90あったところに10を加えて100にしたという感慨を持つのに対し、文系は1だったものを10にしたという感慨を持つことが多いように思う。
にも関わらず、文系の方が「先人」という言葉を多く使いたがるようにも感じる。なぜだろうか。「先人」を使うことにたけては理系の方がはるかに頻繁なのに。
一つには、理系が先人を使う時には、「先人」という十把一絡げの言い方ではなく、具体的に「ニュートンのF=ma」とか「アインシュタインのE=mc2」という言い回しを好むからだと思う。それが空気のように当たり前なので、空気のように見えない、というわけだ。
そしてもう一つには、理系は単に先人の言葉を引用するだけではなく、それを実際に使っているということがある。「子曰く」で議論して、議論そのものが仕事とみなされる文系と、F=maにしたがって乗り物を設計したら、mやaに間違った数字を代入してしまって、それが事故った時には責任をとらされる理系。先人の肩が堅牢なだけに、それを踏み外したときにずっとイタイ思いをするのも理系である。
とはいえ、「文系」も「理系」も数学を母と持つことに変わりはないし、文系も「理」をもって考え、「理系」も「文」をもって考えを伝えるのだから、「文系」「理系」という呼び方は、文にも理にも失礼なような気がする。
いっそ「聞系」と「履系」というのはどうだろう。「聞いただけでわかったつもりになる系」と「履行してみなければわからない系」というわけだ。
その意味においては、我々のほとんどは「9割聞系」で、「1割履系」なのだろう。履系に憧れつつも、聞系なしに物事を割り切るには世の中ややこしすぎ、忙しすぎるということなのだろう。
それでも、聞で間に合うのは、他のだれかが履してくれたおかげということは忘れないようにしておきたい。
Dan the (Frequent Sayer|Occasional Doer)
というか、先手必勝かもしれないですが、証明されていないし証明されることも人類が滅びるまでありえないでしょう。