こういう反論をお待ちしておりました。
iTakahiro's D - 文系だって、先人の業績の上で仕事をしているのです。「全順序」について理解してないんで、誤解してるのかもしれないけど、何かこの物言いには反発したくなる。
歴史をやってたものからすると、歴史学は先人の業績がなければそもそも成り立たない学問なのだ、と言いたい。
そう。実は文系も理系も、先人の肩なしに仕事をすることはもはや出来ない。塩野七生がローマ人の物語を書けたのも、トインビーがいてタキトゥスがいてプルタコスがいてキケロとカエザルがいたからだ。
それでも、やはり文における先人の肩というのは、理における先人の肩と同列には扱えない。なぜ同列に扱えないかというと、「肩」と「人格」を文理、じゃない、分離できないからだ。それがたとえ極悪非道の人でなしであっても。実際、理の世界で優れた業績を上げた者が、必ずしも人格者とは限らない。一例をあげれば、コーシーはアーベルとガロアの論文を紛失して、結果として彼らを見殺してしまうし、そのガロアも実につまらない理由で命を落としている。それどころか、それらは人類によってなされたものである必要すらない。宇宙人でもいいし宇宙そのものでもいい。というより、理における知見は人が成したものというよりすでに自然によってなされたものが見つかっただけというものも多い。DNAは40億年前からディジタルだし、我々の脳は3まで数えられないうちからフーリエ変換が出来るようになっている。
それに対して、文の肩というのは、一字一句同じことでも、それが誰の肩かというのが非常に重要になってくる。それが誰の肩かによって乗り方を変えなければならない。「高速道路は国家の発展に役立つ」という台詞は、ヒトラーもゴアの親父も言ったが、この両者の業績を同じように取り出して、同じように吟味することが我々に可能だろうか?
それは別に、文系、というより人文科学の知見より、理系、というより自然科学の知見の方が優れていたり尊いということを意味しない。むしろ自然科学の方は、自分でやったのではなくただ観察した結果をまとめただけだから卑小だ、という言い方すらありうる。
ただ、どちらが「使えるか」といったら、やはり理の肩、ということになるだろう。なにしろ人間以外にも通用するのだ。小林先生が「バカに関して言うなら、『理系とハサミは使いよう。文系につける薬はない』」だといった真意がここにある。つける薬がないというのは大げさでも、それが人にしか効かない薬であることは確かなのだから。
Dan the Philosopher@Large
できないくせに文句ばかり言ってるなよ。屑が。