そういえば、これもずっと未書評のままだった。
インタラクティヴ読書ノート別館の別館 - 「経済2.0」とか「複素経済学」とかあと私の
http://hotwired.goo.ne.jp/altbiz/inaba/031202/textonly.html
とか、『所有と国家のゆくえ』末尾の稲葉「経済成長の必要性について」とかをご覧ください。
本書、「『資本』論」は、数ある経済学の新書の中では、一番「大風呂敷」な本だと思う。なにしろ、冒頭の引用がEganの「順列都市」の以下の下りである。
今や全地球的な生態系は、街の小気候と同じで、人工の産物よ。
この大風呂敷ゆえに、
Amazonの書評よりステーキとフォアグラと北京ダックと寿司とをいっぺんに食べたら胃もたれになります。
という感想もあるのだが、長谷川裕一のファンとしては願ったりでもある。以下の目次を見ただけで、その風呂敷の広さが伺えると思う。
目次- 「所有」論
- 戦争状態と所有
- 国歌の存在理由とは?
- 私的所有への批判の矢
- 「市場」論
- 交換から分業へ
- 交換の果ての市場
- 市場への不安と懐疑と反発と
- 「資本」論
- 「資産」とは何か?
- 資本のつくられ方
- 「所有」の変容と株式会社
- 「人的資本」論
- マルクスの労働時問題感
- 「労働力=人的資本」論
- 拠点としての「所有」
しかし、本書現在において、稲葉氏は以下のとおり拡げた風呂敷を「畳んで」いる。あえて本書ではなく、以下から引用。
Altbiz Long Interview今度単行本としてまとまる、この連載のこれまでの部分では、実も蓋もなく言えば、「やっぱり、景気はよくなくちゃ」という主張をしてきたわけである。この実も蓋もなく、一見して下品な主張の射程距離はしかし、意外と大きい。我々はすでに踏み込んでしまった。グローバル化と産業化の道に踏み込んでしまえば、後戻りはきかない。もちろんその果てには地球環境の大規模な破壊と悲惨な戦争がまっているのかもしれない。かといって立ち止まり、後戻ればおそらくやはり戦争、大量死、飢餓、自然破壊がまっている。転げ落ちないように狭い尾根を踏んでいくしかなさそうだ。
実は私も20世紀の間はそれでいいや、と思っていた。尾根が尽きるとき、空を飛ぶなり転落しないよう下山するなりするのは後世の人々の選択でいいのだと。
しかし、現実の変化の加速度は、それを後世の人々への課題という形で「引き継いで」もらうというのが暢気に聞こえるほど激しくなっていることも感じる。特に中国とインドが「市場」に加わったことで、それが一気に加速したようにも思える。「地球連邦」はまだないが、「地球市場」はすでに今そこにある現実なのだ。
そして、なぜ市場経済がうまくいっていたか、といえば、参加者のそれぞれに「差」があったからだ。金(かね)はあるけど金(きん)はない者は、その逆の立場にあるものから市場を通じて金をえることが出来る。その意味で、「先進国は途上国を搾取してはいない」というのは真実だ。途上国もまた得たいものを得たのだから。
ところが、そうして途上国もまた先進国となると、その経済を回していた「差」がなくなってしまう。そのため、市場経済においては次の「差」の元をつぎつぎと漁ることとなる。その意味で、BRICsが「開いた」のは、市場経済にとっては慶賀すべきことだと思う。これでまた何十年か「持つ」のだから。
しかし、その先は?
かつて、それは「宇宙」だったと思う。アポロ計画の頃までは。私が生まれたのはそのアポロ11号のGiant Step for Mankindの直後だ。そのころよりも、宇宙は遠くなったように思う。
市場は、常にフロンティアを必要としている。そのフロンティアが文字通り地球上からなくなってしまったら?もっとも地球といってもそのごく薄い表面だけなのだけど。
その日が来るのは以外と近いような気がするのだ。
「フロンティアは必要だ。しかし宇宙(Universe)はあまりに遠い。だから「内なる宇宙」(Entoverse)だ。」
という流れを私はずっと見て育ってきた。マクロよりミクロ、ミクロよりナノという具合だ。そちらのフロンティアは思ったよりも芳醇で、ムーアの法則もなんとか40年続いてきた。
しかしインドと中国が「追いつき」、素粒子一個に一ビットを記録できるようになった時も、経済は経済でいられるのだろうか?今のペースだと私の寿命がつきる前に、そんな日が来るはずだ。
だから、私はこの「『資本』論」の続編が猛烈に読みたい。またそれを書けるところに一番近いのもまた稲葉氏だと思っている。
Dan the Economic Animal
追伸:「オタクの遺伝子」、早速注文しました。

Local Glut Doctorine かもよ…