内田氏がはこのCarrying Capacityという概念を何度も上げて、それを少子化の説明としてきたが、それは本当だろうか。
少子化と家族解体 (内田樹の研究室)人口容量(carrying capacity)という概念がある。
[中略]
現在日本の人口は1億3000万人。これは列島のリソースが養える限界に近い数値である。
人間が生きて行くのに資源を必要とし、その資源が有限である以上、Carrying Capacity自体が存在することは疑いない。問題は、日本の今のそれが1億3000万人かどうかということである。
バングラデシュという国がある。ここの人口は1億4000万人で日本よりも多い。このことは割と知られていると思うのだが、以外に知られていないのは、面積が日本の四割に満たないこと(144,000km2:377,835km2)。その結果、人口密度は985人/km2と世界最大級。Wikipediaではわざわざそのことを特記しているほどだ。
バングラデシュ - Wikipedia人口と人口密度の両方で日本のそれを上回っている国は、現在のところバングラデシュだけである。
これでバングラデシュが日本よりずっと資源も資本も豊富というのであればまだ話はわかるが、資源はとにかく(バングラデシュは世界でも有数の肥沃の地でもある)、資本の方は日本の方がずっと大きい。だから日本だけ見て日本がCarrying Capacityを飽和しているというのは早計としてか思えない。
というより、資源も資本も国境を超えられる現在において、一国のCarrying Capacityを語ることに意味がなくなったというべきだろう。地球全体のCarrying Capacityは依然意味があるにしても、Capacityの元となる人も資本も国どおしで「融通」可能なのだから、日本だけ見ても何も見えてこない。
私自身は、この人と資本が融通できるという前提において、日本のCapacityはもっとあると見ている。日本全体としては人口は縮小に転じたが、東京圏のゆるやかな人口増加はまだ続いている。その数、最小の数値をとっても3148万人。最大を取ると3651万人。群を抜いてトップであり、これだけで日本よりも面積の大きなカリフォルニア州を上回る。しかし、より詳しい情報の載っている英語版のページを見ると、その人口密度は2,610人/km2と、都市圏としては以外と低い。大阪圏の5,452人/km2の半分弱なのだ。仮に東京圏の人口密度が大阪圏なみとなると、その時の人口は6000万以上。ドイツを除く欧州の大国をいずれも上回る。
私はそうするのがいいと言っているわけではないが、少なくともCarrying Capacityの点から行けば「日本には、まだまだ空いた土地がたくさんあるんです」((c)田中角栄)という方が「すでに飽和している」という意見より正しいように思われる。
中国では個人は子どもを欲しがっているが、国は子どもを欲しがっていない。
日本では個人は子どもを欲しがっていないが、国は子どもを欲しがっている。
ということとは、中国の個人を日本に連れてくるだけで、実は日本の少子高齢化は解決してしまう。なぜそれをしないかといえば、私には日本の有権者の多くはは少子高齢化の方が「日本人の定義のリベラル化」よりずっとましだと考えているのだとしか思えない。
私としては、日本人の定義はもっとリベラルでいいと考えているし、今しばらくは人口漸増社会にしておいた方が、有権者も為政者もそれに慣れているのだからそうしても構わないと思うのだが、私が首を傾げてしまうのは、にも関わらず経済成長を多くの人々が唱えていることなのだ。それほど経済成長が大事なら、なぜ一番手っ取り早く確実な「母数を確実に増やす」という政策を選ばないのだろうか。
経済成長は欲しい。しかしその果実は日本人から生まれた日本人の間だけで分配したいというのは、さすがにご都合主義が過ぎるのではないだろうか。
Dan the Urban Rat
人口密度は先進国でも高いほうだし、反面住める面積の比率は小さい(山が多い)。人口は今の半分くらいは適正水準ですよ。