以下をまとめると、次のようになる。
シロクマの屑籠(汎適所属) - いじめる側のメリットが大きくコストが少ない限り、いじめ発生は不可避だろうまず、いじめが現代の子ども達にとってどのような適応促進的メリットを持っているのか、また逆にいじめる事によるコストがどのような状況下で上昇するのかにもっと着眼すべきではないだろうか?分裂勘違い君劇場 - 実際には、いじめる側のメリットは小さくコストが大きいのだが、その損得勘定ができないからいじめが起こる
実際には、いじめる側は、トータルではすごく損なのだけど、世間知らずな上に頭が悪い子供は、その辺の損得勘定ができないのじゃないかと思います。
- いじめることは人生を連結決算すれば損である。
- しかし、子供は単期決算までしか頭がまわらない
まず1であるが、分裂勘違い君の指摘にもあるとおりこれは事実である。まず「いじめっ子」(the bully)であるが、これは目立つのでその後の人生を待たずにその場で「処分」されることも多い。教師の叱責だけならまだよいが、進学でも不利になり、就職でも不利になり、ましてや就職段階までいけばかつて暴力で教室を支配していたことなど屁のつっぱりにもならない。
そして傍観者(the bystanders)であるが、いじめに加わった者も含めて、これらは社会に対し付和雷同しか出来なくなる。結局社会に出てから、「強い大人」にアゴで使われるようになるのがヲチだ。
その意味で、実はいじめられっ子(the bullied)が、人生の連結決算では一番得をすることが多かったりする。自殺してしまえば話は別だが、「生き残った」場合社会的に前二者よりも勁く(robust)なる場合が多い。ましてや、そもそもいじめられるきっかけが、成人においては才能と評価されるものであることも多いのだ。blogosphereを見れば一目瞭然である。
誤解して欲しくないのだが、これはいじめ礼賛ではない。実は「いじめで得をする」いじめられっ子とて、別にいじめでなくても成長のきっかけとはなるし、むしろいじめを通して人生を学んでしまった場合、立場を転じればいじめっ子になってしまう可能性は増えてしまう。「人生を連結決算」なんて大人だって無理に近いのだ。いじめられっ子が長じて勁くなるというのは結果論にすぎない。
さすれば、答えはおのずと明らかである。
その場で決済すればよいのだ。
これは、実はいじめに限ったことではない。人間に限ったことですらない。犬をしつけるには、粗相した犬をその場で叱責しなければならない。三日後どころか三時間でもだめなのだ。行動に対するフィードバックが、頭の中でつながらないと駄目なのだ。制裁は行動の記憶が新鮮なうちになされなければ意味がないのだ。
それでは、いじめに対しては、どのような制裁が最も効果的だろうか。
厳しいようだが最も簡単かつ効果的なのは、「立場交換」だろう。いじめが起こったら、それを直ちに再現するのだ。ただし、立場を入れ替えて。
例えば、服を脱がすといういじめがあったら、それを直ちに行う。いじめられっ子が受けた体験を、まだいじめた記憶が新鮮なうちにいじめっ子に体験してもらうのである。
「それではいじめがエスカレートするだけなのではないか」という声もあるだろう。短期的にはそれもありうる。いじめっ子がいじめられっ子を逆恨みして、さらに凶悪かつ陰湿ないじめを行うというわけである。
しかし、逆恨みを恐れてはならない。逆恨みが恐くて制裁が出来ないというのであれば、刑法も成り立たなくなってしまう(現行の刑罰がうまく行っているかはさておき。これは別のentryをあてて考察することになるだろう)。これが起こった場合は、まずいじめられっ子の安全を確保した上で、さらに厳しい制裁を行うべきであろう。
すぐやる、必ずやる、わかるまでやる。
はっきり言って泥臭いが、これが一番の近道だ。
とはいっても、これはいじめが起こった場合の対策であり、いじめを少なくする工夫は出来るし、行うべきである。過去に何度も書いてきたが、いじめは閉鎖空間であれば必ず起こる。逆に閉鎖度が低ければ低いほど起こらない。
学校は、もっと娑婆に対して開いているべきなのではないか。
しかし現状はむしろその逆で、学校をより安全にするという名目で、学校の閉鎖度はより上がっている。これこそ安物買いの銭失いなのではないだろうか。池田小の悲劇は悲惨だが、いじめによる損害はどう考えてもそれを上回るし、池田小のような出来事は学校を閉鎖的にしなくても、学校警察を置くなどの措置である程度対処できるのである。
これだけは確かだろう。
学校が日帰り刑務所である限り、いじめはなくならないどころか減りもしない、と。
Dan the ex-Bullied
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