同意すると同時に、それは別に現代の先進国に限った話ではないというお話。
void GraphicWizardsLair( void ); // 「自分が何を欲しているのか分からなくなる」という貴族の悩みを、多くの庶民まで持っている国は豊かってことだよな「自分探し」とか「誰かの役に立ちたい」とか「チヤホヤされたい・尊敬されたい」みたいな発想が出たり、自分が何をすべきなのかを悩んだりするのってのは、社会が成熟して多くの人が貴族みたいな余裕が出来たよってことなのかもなぁ。
二十歳にして己に心朽ちたり
この台詞を言ったのは誰か?八世紀末の鬼才、李賀である。すでに1200年前に、同様の悩みと、その悩みを成立させるほどの贅沢な状況がすでにあったのだ。その状況を成立させていた唐は、朱全忠に滅ぼされ、悩みも消滅した代わりに平和も消滅してしまった。
おそらく帝政ローマの絶頂期は、これよりももっと贅沢な悩みを持つものたちは多かっただろう。ガチョウの羽でのどちんこをくすぐってダイエットしていたのは、何と2000年も前の話だ。そんなローマもやはり滅ぼされて、後に残ったのは千年の暗黒時代だった。
しかし、これほど多くの贅沢な悩みを持つ人々がいた時代はかつてなかったというのは確かだ。カエザルの頃のローマの人口はほぼ5000万だそうだ。中国もまた長い間6000万人がCarrying Capacityだった。今や日本だけでその二つを併せたよりも多くの人々が暮らしている。中国の沿岸部などまで含めた、「飽食の悩み」を抱える人口はおそらくすでに10億人を突破しているだろう。
歴史をひも解けば、経済も文明も退行することがしばしばあることはすぐにわかる。そして一旦退行したら、元にもどすのにえらく時間がかかるということもすぐにわかる。さすれば、なるべくそれを防ぐと同時に、「贅沢な悩み」対策もそれが贅沢であると切り捨てないできちんとやっておく必要があるのではないか。仮に飢えと貧困を人類世界から駆逐したとしても、「贅沢な悩み」は「みんなの悩み」になるだけなのだから。
あるいは、人類は地球外に進出してもなおそれを繰り返し、ハリ・セルダンの登場を必要とするのだろうか....
Dan the Lucky One
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