たった今読了。
今年読んだ本の中で、間違いなく最高傑作!
いや、ほんとだまされたと思って読んで欲しい。面白くなかったら私が買い取ります、ってぐらい面白いから。
本書「神は沈黙せず」はフィクションである。フィクションであるが、実は75%はノンフィクションで構成されている。本書は一応、ではなく掛け値なしに一級品のSci-Fiであるが、実は山本弘のメッセージである。本書の舞台は20世紀末から近未来までだが、そのテーマは最も古いものの一つである。そして本書は神の本であり、人の本であり、「正しく生きる」の意味を問う本である。
私はそう信じる。
かつてこんな言葉で締めくくられたSci-Fiがあっただろうか?しかも、他ならとにかく著者山本弘は「と学会」会長でもある。懐疑のプロである氏が、この「信じる」という三文字で本書を締めくくったのは、意外でかつ当然である。
なぜそうなのか、そして誰が何を「そう信じる」のかは、是非手に取って確認していただきたい。
本書のテーマは、荘子、いや有史以来人々の脳裏を離れない一つの疑問である。
荘子 - Wikipedia荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。どちらともわからぬ、どちらでもかまわない。
実はこれ、神と人との関係にもあてはまる。我々は神の見た夢なのだろうか、それとも神は我々の見た夢なのだろうか。そして現在はそれにさらに電脳によるシミュレーションが加わる。果たして電脳空間の人工生命にとって我々は神なのだろうか。
このテーマ自体はSci-Fiのもっとも古典的なテーマであると同時に、実は「夢オチ」でもある。ちょっとでも手を抜けば、それは簡単に駄作になってしまう。なにしろ、この世界は神の見た夢ということにしておけば、何でもアリになってしまうのだから。
ところが、本書はいきなりこの世は神のシミュレーターである、ということから話がはじまる。これは大変すごいことだ、いきなり「本書は夢オチです」と最初、とまでは行かないまでもかなり早い段階で種明かしをしてしまうのである。ところが、これがネタバレにならないのだ。本書が凄いのはそこからである。
もし我々が神の夢にしかすぎないとしたら、正しく生きようとすることに意味があるのか?
実は、本書はフィクションの形を借りた、この設問に対する山本弘による証明でもあるのだ。それも実に美しい。本書は二重の意味で美しい。まずこの難解な設問に、正面突破というより「反対突破」というか、一種の帰納法を導入したというテクニック。それにも関わらず、読解が実に優しいこと。易しいというより優しい。
特に後者は大きい。この点で本書はEganを確実に超えている。
もちろん、わかりやすさには多少の犠牲も伴っている。本書の重要な登場人物である加古沢のホームページのアクセス数が月50万とか100万とかというのはちょっとありえない。本blogですらそれくらいあるもの。ユニークユーザー数であればすごいと思うけど。あと、セルラーオートマトンの実装第一号としてラングトンを上げているのは微妙な所。自己複製の定義にもよるが、ライフゲーム(game of life)でも、一般的なS23/B3ルールではなく、B1357/S1357だと自己複製ルールになる。
もっとも、こうしたディテールの過誤は、「証明」の「正しさ」をいささかも損なうものではない。少なくとも私は本書の結論を信じることが出来た。
すべての被造物たちに。
Dan the Dream of Yours, or the Dreamer that Dreams of You
追伸:でもこれも星雲賞とってないの?信じられなーい。
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