踏むべきか踏まぬべきか、それが問題だ。
レジデント初期研修用資料: ストップウォッチひとつでできる簡単! 医者潰し「いい結果」を出すだけなら、むしろそれは簡単。特定の病気、それも死ぬような合併症のない病気の治療に集中して、こじれそうな人からは逃げ回ればいいだけの話。
踏まなければ、前には進めない。それでいいという人たちもいるけど、その人たちが今歩いている芝生だって、実は元々地雷原だったのだ。だから、適度なタイミングで地雷踏みをさせるのは正しい。
問題は、この「適度なタイミング」という奴だ。まだ地雷を見たことがないものは、簡単に死んでしまう。だからなりたての新人では駄目である。その新人が死んで吹っ飛ぶのは、その新人の命だけではない。その新人が将来救ったかも知れないプロジェクトや将来や命も一緒に吹き飛んでしまう。
しかし、今でもこういう新人を大昔の歩兵--infantryのように使う組織は少なくない。こういうところは地雷原より危険である。真っ先に避けるべきである。
かといって、地雷原ツアーを全く主催しないところも駄目である。典型的なのは役所や大企業。たしかに一度入ってしまえば一生芝生の上を歩いていていられるかも知れないが、それで助かるのは自分だけ。極論してしまえば、こういった仕事は仕事の名に値しない。私はわざわざ芝生を地雷原にするつもりは毛頭ないが、そうしたがっている人々は少なくないし、その気持ちはわからぬでもない。
一番いいのは、きちんと地雷の恐怖を知った上で、それでも生還できるだけの手はずを整えて地雷原に人を送り込むことだけど、これがなんとも難しい。送り出される方も大変だが、送り込む方もおなじぐらい、いやもしかしたらもっと大変である。
それでも、やはり送り出すべきなのだ。
地雷を始末できたときの喜びを知る方法は、それしかないのだから。
レジデント初期研修用資料: ストップウォッチひとつでできる簡単! 医者潰し「いい製品を作った」というのはもちろん評価の対象になるのだろうけれど、 その「良さ」が理解されなければ、その成果物は「いいもの」とは認定されにくい。
いや、ここはむしろもっとシンプルに考えた方がいい。エンジニアの報酬は、「いい結果」ではなく、「いい過程」なのだと。そうでもないとやっていけないのだ。いいエンジニアほど、いい努力にいい結果がついてくるものだとは限らないことを知っている。片手間に作ったサイトが数億円で売れることもあれば、数年がかりのプロジェクトが風向き一つでパアになったりもするのだから。
それでは「いい過程」とは何か?
出来なかったことが出来るようになることである。技を覚えることである。地雷を一つ減らすことである。
あなたは覚えていないか?乗れなかった自転車に乗れるようになったときのことを。書けなかったプログラムが書けるようになったときのことを。出来なかった手術が出来るようになった時のことを。
その瞬間をもう一度経験したくて、この世界にいるのだと言い切っていい。
生きて行くために金品による報酬は必要だし、それが不当だと感じたら異議申し立ても必要だが、少なくとも職人に関してはそれが本質的な報酬ではない。
だから、好きなものが金品そのものの場合、職人というのはあまり薦められない。商人になるべきだ。いや、商人を莫迦にしているわけではない。商人には商人の喜怒哀楽があるし、一昔前にはとにかく、現在では商人としてのセンスがないと、ただ食って行くのも難しい。
しかし、根本的に、商人というのは、地雷原を見たら引き返す人々のことなのだ。地雷原が始末されてはじめて、そこに市が立つのだから。
もうはっきり言ってしまおう。
金品のためだけに職人となるのは、子供を作るためだけにセックスをするようなものだ、と。
Dan the Risk-taking Coward
残念ながら、これが役所の鉄則です。
新人の年に叩き込まれました・・・。